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茨沼・月輪の章 第一回(二)

 寒風にも負けぬ活気に満ちた参道を引き返しながら、赫弥は、元日に非番があたったのは幾年ぶりであろうかと思いを巡らせた。太平洋東方沿岸警護軍に配されてから今年で干支も一巡りするが、その間、正月にゆっくりと休んだ記憶は一度しかない。特に隊長の位を賜ってからは、年中、休む間もなかった。
 かの大災害「如月の悲劇」も歴史上の一出来事となり、平和な日々が続いているように見える日本だが、徐々に綻びがうまれはじめていることは赫弥も身をもって痛感している。特に今上天皇の御世になったここ数年は、朝廷も、政治の中枢を担う皇櫻府内外も、そして市井のあれこれも、ひときわ騒がしいのだ。
 皇櫻府防衛省が率いる日本皇国軍の中でも数少ない、天皇の直属部隊に配された身では、否が応でも政治の駆け引きとやらを目にすることもある。だが武士である己には政治の小難しい話など関わりはない。赫弥の目下の使命は、異国と通じ皇櫻府に牙を向く謀反人たちの鎮圧だった。
 「鎖国はいつまで続くのか」――第二次鎖国から二百年たった今、誰の胸にも、その問いが微かな違和感となって沈殿している。時勢の気風は、野望を秘めた者たちの抱く炎に油を注ぐに足るほど鬱屈としていた。
 「ありゃ、そこにいらっしゃるのは赫弥様ですかい?」
 ふいに、人ごみの向こうから耳に馴染んだしゃがれ声を拾う。両の眼をちらとさまよわせれば、花林糖饅頭、と書かれた幟をいくつも飾ったひと際大きな屋台のほうから、男が小走りに近寄ってくるところだった。
 「……弦介か? ああ、そうか、正月だから屋台を出すんだったな」
 「なぁんですかい、きょとんとして! これだから仕事狂いは困るんだわなぁ。ちっこい頃は、いつも吾妻様と一緒に仲良く正月の出店を見て歩いてたのに、忘れっちまったんですかい?」
 「はは、そうだった……おい、太郎」
 「はぁい?」
 『待て』を食らった犬のような顔で件の沼田屋の登場を眺めていた太郎の返事が、『わん』と聞こえたのも気のせいではなかったかもしれない。
 「先に吾妻たちのところに戻ってくれ。饅頭は買っていくから」
 「はい! じゃあ、十個お願しまぁす!」
 「まったく……」
 いやに聞き分けよく走り去る太郎の、虫襖色の後姿に目を細め、ひとつに結い上げた黒髪を揺らしながら、赫弥は弦介のほうを振り返った
 「と、いうわけだ。今年もあいつ用に、二十個頼む」
 「承知! まったく、トキの野郎は幸せ者さ、赫弥様にこんなに大事にされてるんだからなぁ」
 短く刈り込んだ白髪に藍色の鉢巻が良く似合う初老の男は、目じりにくちゃりと皺を寄せて笑った。毎年正月になると赫弥は、甘味に目がない太郎のため、特別に甘い花林糖饅頭を沼田屋で注文する。これだけは、どんなに忙しい正月でも欠かしたことのない、弟子であり従者であり友である青年への日頃の労いであった。
 「それにしても、元日にお休みなんて、随分珍しいんじゃないですかい?」屋台の後ろにまわりこみ、饅頭の材料を探す弦介の皺が、今度は眉間にも刻まれる。「今年はお上もお侍のみなさんも忙しくなるだろうし、今のうちに休めってことですかねえ?」
 「そう言うことなら、もう二、三日休みが欲しかったところだがな。明日には皇領の本部に顔を出さなくてはいけない。弥生の式典に向けての軍議も始まるんだ」
 「ああ、二百年の式典ですかい……なぁんか、きな臭ぇんだよなぁ」
 「そう、だな……」
 天道六年の今年は、日本皇国が第二次鎖国を開始してから二百年の節目にあたる。朝廷と皇櫻府はこれを記念した大々的な式典を執り行い、未曾有の悲劇からの完全な復興と磐石なる日本の国力を民草に誇示することを決めたのだ。
 だが、華やかで喜ばしい祝いの儀、というのは表向きの姿にすぎない。すでに赫弥たち防衛省の武士には、式典の襲撃に備えた最大級の警戒布陣を敷くよう通達が下っていた。ここ十数年で謀反や一揆は一段と増え、領地や國の間の争いも収集が付かなくなり始めている。特に昨年は、蝦夷地で屯田兵団長を殺害した反乱の徒が、札幌都を乗っ取り義士を自称する厚顔無恥な大事件も起こった。これ以上、朝廷と皇櫻府の威光に傷をつけぬためにも、此度の式典はしくじるわけにはいかなかった。
 「俺たち武士はただ、陛下と大臣閣下をお守りし、国の平穏のために身を捧げるだけだ。たとえ――」
 「何を言う、この下衆野郎!」
 続く言葉は、唐突な大音声と悲鳴に、かき消された。
 「五条……?!」
 弟の傍にいるはずのもう一人の従者が発した怒号に促され、赫弥は腰に佩いた愛刀の鞘を右手で握りしめた。
 「すまない弦介、饅頭はあとだ!」
 返事も待たず、提灯の火がゆらめく夜の参道を一足飛びに駆け抜ける。只ならぬ形相の長身が駆けゆく様に仰天した人々が、慌てふためいて道をあけ、そして赫弥の眼前に、なんとも頭の痛い光景が飛び込んできた。
 「おい、貴様、この下衆め。もう一度言ってみろ。吾妻が何だってぇんだ!」
 「ふん、ぼんくら天狗には言葉も通じぬか。山本吾妻は武士の風上にも置けぬ浮ついた異国かぶれの青二才だと言ったんだ」
 「何をっ……!」
 「兄貴、こらえて!」
 日ごろ肌身離さぬ大身槍を突き上げる山伏姿の巨躯を、日ごろの安穏とした面を青ざめさせた太郎がぶらさがるようにして押しとどめる様に、数名の男たちが冷笑を浮かべている。彼らの顔は、赫弥もよく知っていた。太平洋東方沿岸警護軍鹿島駐屯地の「お着物組」――皇櫻府の名を受け各駐屯地で軍の指揮にあたる、いわゆる名ばかり大将である。一部の隙もない、古典的な和装に身を包んだ様子から付いた別称は、いまや無能な指揮官への侮蔑とともに、市井の民にまで広まっていた。
 「放せ、トキ! 吾妻を馬鹿にするやつを、生かしておけるか!」
 「だからぁ、そういう物騒なことはっ……」
 「控えよ、五条!」
 殺気だった大男も、情けなく眉尻をさげた青年も、おもしろおかしく野次を飛ばしていた見物客も、すべてのものが一瞬にして、息を詰めた。
 「五条、この方々を何と心得る。陛下と大臣閣下のおんために骨身を砕き、国に忠を尽くす指揮官殿方に無礼を働くことは、まかりならぬぞ」
 振り下ろされかけた大振りの大身槍をいともたやすく細身の刀で受け止めた赫弥の、夜色の眼に睨まれれば、五条――山本家の兄弟に仕えるもう一人の従者は、壁のような体を縮こまらせ、むすりと唇を尖らせるしかない。荒削りでどこか日本人離れした顔をふい、とそむけ、「わかったよ」と零した声は、ちっともわかったようには聞こえないのだが。
 「……指揮官殿方、この吉日に我が従者が非礼を働いたこと、どうかこの山本赫弥に免じてご容赦いただきたい」
 「これはこれは……ささ、面をあげられい、赫弥殿。もうよい、もうよい」
 刀を納め頭を垂れる赫弥の肩を半ば抱き寄せるようにしながら、「お着物組」の一人が笑う。いかにも好色そうな目元を撓めるでっぷりと太ったこの男は名を串引と言い、実質的な日本国の元首として皇櫻府の頂点に君臨する御黒嶺みぐろね大臣の遠縁であった。
 「それにしても、見事よな。天狗殿の大身槍を、この細腕でよう受けられる」
 「体の厚さは及ばずとも、このような荒くれ者の槍など、腕一本で十分です。ところで……」
 生温かい息が首筋にかかるほどに近寄る男を、なるべく穏やかに引きはがす。
 「先ほどの御叱責……愚弟がまた何か、やらかしましたか」
 「ああ、何、いつものこと。弟君は――」
 「朝礼には遅刻、軍装には勝手に飾りをつけて、華見世モデルの仕事ばかり優先させる……でしょ?」
 指揮官の言葉を継いだ影が、鳥居の後ろからゆらりとあらわれる。
 「さすが串引殿、元日だからって浮かれることなく軍の規律を説かれるとは、忠臣の鑑ですね!」
 「吾妻……」
 家族として二十数年、ともに育ちともにすごした兄の目にすら、その姿は鮮烈に――人影と呼ぶにはあまりに眩く映りこんだ。
 長身の赫弥をも超えるすっきりとした上背に、纏う深緑の着物には品のよい金箔文様がちりばめられ、異国かぶれと称されるのも頷ける古色の毛皮を纏ってすらけばけばしくはない。長い手足をこれ以上ないほど優美に組んで鳥居に凭れ掛る立ち姿には、芸能の世界で磨かれただけでは到達しえぬ天賦の蠱惑がある。日輪の下で生きることを天に許されたかのような小麦色の肌は決して野蛮に過ぎず、彼が白い歯をこぼしながら満面に浮かべる溌剌とした、それでいてどこか童じみた笑顔に華を添えていた。黒眼鏡の下からあらわれた、女ならばだれもが夢に見るようなとろりと垂れた琥珀色の瞳は、愛嬌と熱情を孕んで煌めくが、そこに今日ばかりは、冷ややかな霧が渦巻いていた。
 「でも、せっかくの元日なんですし、たまには職務以外のことでもお話しましょうよ、串引殿。たとえばほら、あなたのお妾さんがもってる小料理屋、あすこのものは、うまかったですよ……なにもかも」
 意味ありげに顎をあげる弟の言葉の裏は、どうやら串引には伝わったらしい。蝦蟇蛙のようなあばた顔が、みるみるどす黒く染まっていく。
 「き、貴様……貴様! この、恥知らずめが!!」
 「恥知らず? それは俺みたいにのんびり生きてる男じゃなく、忠臣のふりをして異国の女性たちを奴隷同然に働かせ、自分の性欲を満たすだけじゃ飽きたらずに密貿易でうまい汁をすすっているような男のことじゃないのかな」
 「なっ……」
 「く、串引殿! おい、山本吾妻! 貴様、まさか串引殿がそのような売国沙汰に絡んでいるとでも言いたいのか?!」
 「不届き者め、成敗してくれる!」
 色めき立つ「お着物組」の男たちはしかし、今にも卒倒しそうな串引を支えるだけで、腰に穿いた仰々しい刀を抜きもせぬ。だが、それも当たり前だったろう。己達の前に立ち居並ぶのは、ひとりは東日本屈指の若き剣豪、ひとりは天狗の如き山伏姿の大男、そして当の吾妻とて軟派に見えても赫弥に次ぐ剣の腕前をもっていることを、男たちは知っているのである(太郎の刀が眼中にあったかは定かではないが)。おまけに集った民草の耳目のことをも思えば、下手に手を出すこともまかりなら無いのだ。
 「ええい、忌々しい! 証もなくこの私を愚弄するとは、たとえ我が駐屯地の高位武人であろうと、ただではすまさぬぞ!」
 「串引殿、どうぞお怒りを鎮めてください。今の世に、不貞の賊がはびこりつつあるのもまた事実。おそらく愚弟はそのような現状に義憤を抱き、串引様に訴えたいという思いだったのでしょう」
 もちろん、弟の言は真実である。だが、役人相手に真を叫べば罪が下る今の世で、かくも声高に張本人を糾弾するなど、滅多に出来ぬことでもあるのだ。赫弥は弟のその直情が、羨ましかった。山本家の嫡男にとって、この遣る瀬無き憤りを明け透けにするには、背負うものが多すぎる。
 「ふん、何が義憤か」
 分厚い唇を歪めた串引の不躾な視線が、赫弥と吾妻の間で踊る。
 「父は名領主と謳われる剣豪、兄は若くして国中に名を馳せる忠孝の武士であるというのに、弟はと言えば芸能で小金を稼ぎ、かように下品な異国かぶれの装い。おまけに善悪もわからず上官の言葉も意に介さぬ鈍らときておる。まったく、どんな手を使って副隊長の地位まで手に入れたのか……いや、使ったのは手だけではないかもしれんなあ?」
 「ハハハ、まったく、まったく。この笊頭に己の罰当たりな生き方を知らしめるには、こちらも某を使わなくてはなるまいて」
 「いかにも、だがこの男は笊ゆえな、ここは弟思いの兄君にご足労いただこうかしら」
 「それは良い! 兄君の美しさたるや、かの竹取の姫も恥じて隠れるほど……ひぃっ?!」
 目にもとまらぬ勢いで再び赫弥の左手が放った閃光は、二本の刀と一本の槍を、派手な音とともに弾き飛ばした。
 「兄さ」
 「堪えよ」
 噛みしめた唇に鉄錆びた味が滲もうと、家族の手が汚らわしい血に濡れる事を許すわけにはいかなかった。
 「弟の不出来は兄の責。今後はいっそう祖国に忠誠を誓い、武士の模範となるよう、教育してまいる……これでよろしいか、串引殿」
 「くっ……お、おぼえておれよ、山本吾妻!」
 四対のぎらつく瞳に射抜かれ、まるで情けない捨て台詞を吐いた串引は、仲間に支えられながら後ずさり、肥満体に似合わぬ素早さで坂道を駆け下りていった。
 「さて……皆さま、元日早々、お騒がせしてすまなかった。どうか先のことは忘れ、穏やかな正月を過ごされよ」
 血の気のひいた顔が居並ぶほうに向かって、赫弥は微笑をうかべながら一礼した。「ほら」隣に突っ立ったまま、琥珀色の瞳を異様にぎらつかせていた吾妻もまた、赫弥に小突かれはっとしたように普段のまばゆい笑みをふりまく。
 「お騒がせしました。俺はこれからもこんなですけど、別に何を企んでるわけでもないので……どうぞよろしく」
 黒眼鏡を指に挟み、冗談めかして吾妻が首をかしげれば、ようやく緊張がとけた野次馬たちは口々に噂話をさざめかせながら日常へと戻ってゆく。逆に女たちは、元日から人気華見世を間近で見られる幸運に頬を染め、あっという間に吾妻のまわりには艶やかな振袖が輪をつくった。
 「吾妻様、先日も芸能瓦、見ました!」「いつもありがとう、うれしいよ」「吾妻様が考案された着物の意匠、すごく素敵でしたわ」「ほんとに? みんながあれを着てもっと可愛くなるといいな」などと、きらきらした声のひとつひとつに律儀に答える弟の姿を眺めていた赫弥の背後で、不満げなうなり声が轟いた。
 「俺は、納得いかん」
 「五条……もう、過ぎたことだ。そう苛立つな」
 「赫弥殿、俺は、あんたたち兄弟に苛ついているんだぞ!」
 己よりも弟よりもさらに高い所にある五条の髭面を見やれば、大作りのかんばせを歪めたその様が怒りよりも悲しみを湛えているようで、思わず赫弥は目をそらした。
 「吾妻のやつは、いつもああやって馬鹿にされてもへらへら笑ってばっかりだ。おまけに赫弥殿まで、あんな糞ったれに簡単に謝ったりするなんて……あんたほどの立派な人間が、どうして……ああ、糞! 俺は帰る!」
 「ま、待ってよ、兄貴!」
 肩を揺らして遠ざかっていく五条と、申し訳なさそうにこちらを振り返りながらそのあとを追っていく太郎の姿が宵闇の向こうに沈んだ頃、弟がふらりと隣に並んだ。
 「また、怒らせちまったな」
 その美男子ぶりと明朗な人柄で誰をも虜にする華見世として、あるいは優男風な振る舞いにそぐわぬ剣技と情熱とで部下の信頼も篤い軍人として人前で語るときよりも、ほんの少しあどけない声と砕けたもの言いが、まわりから野次馬がいなくなったことを赫弥に知らせた。
 「お前……悔しくはないか。華見世になったのは、お前の信念故だろう」
 「俺はさ、兄さん。芸能の世界に片足を入れてるからって馬鹿にされても、別にいいんだ。わからないやつらには言わせておけばいいだけだ。でも、俺のせいで兄さんまであんな仕打ちを受けるのは、悔しい。兄さんが止めなければ、俺はあいつを殺していた」
 それは赫弥とて同じだった。どんな言葉を投げかけられようが己一人ならば耐えて済む話だが、大切な家族の生きざまを愚弄されて、笑っていられるわけがない。
 (それなのに、俺は……)
 握りしめた拳に爪が食い込む痛みすら、己への罰だった。大和男児として生まれながら、すべてを投げ捨ててまっすぐに生きられるほど強くもなれず、心を閉ざして要領良く立ち回ることもできぬ不甲斐なさに、肩が震える。五条にあんな顔をさせてしまったのも、今の己ならば当然のことだろう。それでも赫弥には、屈辱に耐えてでも守らねばならぬものがあった。
 「……やっぱり、筑波は冷えるね」
 そっと肩にかけられた古色の毛皮から、弟が好んで焚きしめている竹の香が匂う。
 「あぁ、まったく、新年早々疲れたし、御来光はもういいや。口直しに、何か食わない? それに、沼田屋にもいかないと……約束してるだろ、トキと」
 「その前に、このような場で刀を抜いて騒がせたことを宮司に詫びに行かなければ」
 「律儀だなぁ、兄さんは」
 弟に気を遣わせるようでは兄として立つ瀬がないのだが、妬み嫉みを受けては影で泣いていた昔日よりも随分成長したものだと、赫弥は毛皮を引き寄せながら目を細めた。



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