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水滸綺伝第七回(二)

【第七回 花和尚、柳の大樹を引き抜き 豹子頭、謀られて白虎堂に入る】

(二)

 次の日、久方ぶりにゆったりとした朝を迎えて気分を良くした智深が、体を動かしついでに畑の草むしりなどをしていると、「お師匠さま!」と陽気な声が聞こえてくる。
 振り返れば、昨日痛い目を見てたっぷり反省したごろつきどもが、十甕ほどの酒と湯気をあげる豚肉を担いで再び菜園に姿を現したところだった。
 「なんだ、今日も俺を誘い出す魂胆か?」
 「滅相もない! 昨日は大変な失礼をしたので、今日はあたしらが宴席をつくって、お師匠さまをおもてなししようと思って来たのです。かまどをお借りしてもよろしいですかい?」
 「ハハ、なんだ、随分気が利くじゃないか。わかった、お前たちに任せるとしよう」
 許しを得てさっそく手際よく宴席を準備したごろつきどもの姿に、智深は満足げにうなずきながら、促されるまま上座に座る。
 智深を囲むように両側に座った張三と李四以下二、三十人のごろつきどもは、宴の支度が整うと、手に手に杯を掲げてこちらを見つめた。
 「ふん、まったく調子のいいやつらめ。今日は一転、しおらしくしやがって。だが、こんなに散財させたのは申し訳ないな」
 博打だけでは暮らしていけずに菜園に手をつけるような輩が、こんな酒や料理をどうやって調達したのか、些か不審に思いながらも智深もまた杯を掲げる。
 「いえいえ、お師匠さまのためなら、ない銭を集めてこのくらい、わけもありませんよ」
 「そうですよ。それにあたしら、お師匠さまみたいなもの凄い和尚さまが来てくれたんで、喜んでるんですよ。ぜひあたしらの親分になってください」
 張三と李四のかけ声で、智深と男たちは一斉に盃を打ち交わし、髭や着物が濡れるのもかまわず浴びるように酒を飲み始めた。ある者は歌い、ある者はおもしろおかしい話を披露し、時に下世話な話題を出して智深に叱られたりと、賑やかに宴は進んでいく。
 「ところで、なぜ俺を親分と仰ぐのだ。これでも一応坊主だからな、博打に手を貸したりはせんぞ。それに、俺がここに来たからには、野菜を盗むのもやめさせる。かわりに駄賃をやるから畑仕事をするんだ」
 「いやあ、そりゃあありがたい。だって、お師匠さまには何をしたって敵いませんからね。それに、お師匠さまは来たばかりでご存じないでしょうが、このところ、役人どもが菜園のまわりをうろついて、時折あたしらをいじめてるんですぜ」
 「それはお前たちが盗みを働くからだろう」
 「違いますよ! 奴ら、この菜園をつぶして、庭を造ろうとしてるんで、その下見をしてるんですよ」
 「庭ァ?」
 思いもよらないその言葉に、智深は眉間に皺を寄せた。
 「誰の庭だ」
 「そりゃあ、この開封東京で誰よりも庭造りが好きなのはーー」
 誰かの名を言うはずだった李四の声はしかし、突如響き渡った、耳障りの悪い鴉の鳴き声に遮られた。
 「あ、こりゃ大変」
 すると、子分たちのうちの一人がかちりかちりと上下の歯を打ち鳴らし、それに続いて皆一斉に、「正直者は天国へ、嘘つき悪人は地獄に落ちる」と唱え出す。
 まるで示し合わせたようなその様子はあまりに不可解で、智深はますます眉を顰めて低く唸った。
 「おい、なんだその、正直者は……ってのは。なにかのまじないか?」
 「ああ、これはこのあたりの言い伝えでさあ。鴉の鳴く声が聞こえると、もめ事が起こるんだとか。それを避けるための、まあ、まじないのようなもんですね」
 「なんだお前たち、そんなことを信じているのか。鴉が鳴いても、喧嘩をしなけりゃいい話だ」
 すると、日中だけ大相国寺から畑仕事を手伝いに来ている寺男が、くすくすと笑った。
 「まあまあ、よくある風習というやつですよ、智深殿。それより、東のほうの塀の隅にある柳の木、あれに近頃、鴉が巣をこさえたようで、わたしがやってくる朝のうちから帰り支度をする夕べまで、ずっと鳴きっぱなしなのです。あれでは皆、いらいらとして、諍いだって起こしてしまいますよ」
 「それもそうだ。じゃあ、はしごを木にたてかけて登り、巣ごと壊してしまいやしょう」
 うまい酒をたらふく飲んで気が大きくなったごろつきたちに促され、智深もまた、そんなにやかましい鴉ならばその様子を見てやろうと腰をあげる。
 寺男が言っていた柳の木の下に来て見上げてみれば、なるほど、枝の高いところに、鴉がまん丸い巣をこさえているのがはっきり見えた。
 「随分高いところにあるなあ。誰か、はしごを頼む。鴉の野郎が留守にしている今のうちに、あれを壊しちまおう」
 「いや、ここは俺があそこまで上って、巣をむしり取ってやる」
 弟分どもにはやし立てられ、腕まくりをした李四が、まるで壁のようにそそり立つ柳の大木に飛びついて、えっちらおっちら、太い幹を登っていく。
 智深も子分連中と一緒にその様子を見ていたが、いかんせん、どこから栄養を吸い取っているのか、智深の胴回りの五倍はありそうな大樹の柳である。李四の短い足では、ひっかけやすいところを見つけてよじ登るのがやっと。このままでは巣の主がまたやかましい声をあげて帰ってきてしまう。
 「……ふん、まったく、世話の焼けるやつらだ」
 気分良く酒を浴びた智深は、ふわふわとした気持ちのまま、再び柳の木をじろじろと眺めた。
 確かに高さがあり、枝振りも立派だが、根元のほうを見れば、曲がりくねった根が幾本も、土を突き破って地面に出ている。
 「おい、お前たち、ちょっとどいていろ」
 思えば瓦罐寺の一件以来、随分と体を動かしていない。それに、昨日の肥溜めの一件などは、ごろつきどもが驚きひれ伏すほどのことでもない、ほんの少し足を蹴り上げただけのこと。あれしきのことで師匠だ親分だと言われては、物足りない。
 (ちょいとこやつら、脅かしてやろう)
 この先、日がな一日畑番をして暮らし、昨日を今日と繰り返す日々では、体がすっかりなまってしまう。
 「お師匠さま、何をするので……ひぃ!」
 のしのしと柳の木に近寄り、僧衣を絡げ、太鼓腹を露わにした智深の裸形を見た男たちが、一斉に息をのむ。
 「見ていろ、鴉の野郎ごとき小ざかしい悪党の巣は、その元からはっ倒してやるからな」
 胸元や背に咲いた見事な花が、すう、と息を吸い、両手でむんずと柳の木を掴み、腰を落として踏ん張り始めると、次第に濃く、鮮やかに色づいていく。
 それを見た誰かが、声にならぬ声で「なんてこった」と呟く。
 その掠れた吐息すらかき消すような不気味な音が、柳の根元から響き渡る。
 「むゥッ……!」
 地を這うように呻く智深の指が柳の大樹にめり込み、背が肩が腕が山の如く盛り上がり、土埃をあげながら太い木の根が次々と地中から姿を現し、枝葉がこすれる音が悲鳴のように鳴り渡り、玉のように滴る智深の汗が日の光を浴びてぬらぬらと輝き、
 「ハハ! これで鴉ももはや巣を作れまい!」
 長城が端から端まで崩れ落ちたかの如き轟音とともに、柳の大樹は智深の足下へと倒れ込んだ。
 「……あ……す、すごい……なんて力だ……」
 なんとも爽快な心持ちで高笑いする智深の後ろでは、子分となった男たちが、目をひんむいて絶句している。
 「どうした、これしきで驚いているようでは、俺の子分はつとまらんぞ」
 「いえ、いいえ、お師匠さま、あなたはまるで羅漢のようだ。これで驚くなという方が無理ってもんでさあ!」
 「ふん、羅漢か……。では、明日からは、羅漢の武芸の腕を見せてやる。お前たちも、畑仕事だけでは物足りなかろう。暇ができてまた悪さをしないよう、なんなら俺が一から武芸を教えてやってもいいぞ」
 へい、へい、と足下に這いつくばる子分たちをよそに、根元からはっ倒した柳に片足を乗せ、智深はふんぞり返って空を見た。
 昨日と同じく晴れ渡った空は、昨日よりもほんの少し、濃い青色をしていた。

 それからというもの、菜園番を悩ませていたごろつきたちは、恐ろしい怪力の親分に促され、朝のうちはいやいやながらも畑仕事を手伝い、昼には親分のために毎日酒と肉をせっせと運び、日が暮れるまで親分の拳法を眺め、時折手ほどきを受けるという日々を送ることとなった。
 誰かに武芸を教えることなどこれまでしたことがなかった智深だが、たとえ好漢でなくとも己の技に目を輝かせ、畏敬の念を満面に滲ませる者たちを相手にするのは気分がよく、やれ腕を振れだの足をあげろだの、それができないとなると鍛え方が足りないのだとかんしゃくをおこしてはなだめすかされおだてられるのだから、それなりに愉快な気分なのだ。
 そうして、江湖に名を馳せる好漢に出会ったことも、弱い者をいじめる悪を前に血を滾らせたことも、役人に追われたことも、武器を振るったことも、口先ばかりの坊主どもに嫌気がさしたことも、なにもかもどこか遠いことのようにうっすらと思い始めたあるとき、智深はふと、いつも酒食を子分たちに用意させていることに思い至った。
 こんなことをしているが、かつては渭州の提轄として、部下たちがいい働きをすれば、いい酒楼に連れて行き、上等な料理を食わせていたのだ。
 そこで智深はさっそく、手伝いの寺男に上等な酒と肉、つまみや豚肉、羊肉などこまごまと買ってこさせ、このところの暑さをしのぐため槐の木陰に蘆のむしろをひかせると、子分たちを呼び寄せて車座に座らせた。
 「おい、お前たち。いつもお前たちに、ない銭を絞り出させるのは気が引ける。今日は俺が料理を用意するから、ここしばらくの礼と思って、存分に食うがいい。このところ、なんだかんだと博打は控えめにして、畑仕事もこなしているようだしな」
 「お師匠さまがそんなことを気にされるとは。あたしら、お師匠さまをすっかり尊敬してるんで、喜ばせようとしたまでのこと」
 「なにを今更かたぎの善人ぶった口をきくんだ、おかしなやつらめ。俺が食わせてやりたいと言ったんだから、お前たちはおとなしく食えばいいんだ」
 じろりと智深に睨まれれば、もはや子分たちにもなすすべはない。それでは遠慮なく、と控えめに言いながらも、ただで豪勢なめしが食えるとなれば目の色も変わり、山ほど用意した酒も肉もあっという間に片付いていく。
 大椀の酒を何杯も飲み、肉もたらふく食ってすっかりいい気分になった子分たちのうち、張三がふと何かを重大ことを思いついたかのような口ぶりで智深に尋ねた。
 「師匠、そういやあたしら、お師匠さまの拳法はこの数日たっぷり見せてもらったが、まだ得物をお使いになる姿を見ていなかったんじゃァないですかい。今日はひとつ、あたしらのためにも、得物を使って武芸を披露してくれやせんかね」
 「ほう、お前たちがそんなに武芸に興味を持つようになったとはな」
 どうぞ見せてくださいと口々に懇願されて気をよくした智深は、しばらく使う機会のなかった禅杖を見張番屋の中から引きずり出し、片手に握りしめると再び子分たちの前に立った。
 「俺の得物は禅杖だ。お前たちにはとうてい使いこなせんと思うがな。そら、ひとつ持ってみるといい」
 「ぎゃあッ」
 智深にとっては軽く投げ渡したつもりであったが、何せこの禅杖は、長さ五尺、重さは六十二斤という業物である。受け取ろうとした子分の一人はそのあまりの重さにひっくりかえり、彼を助けようと二、三人が駆け寄ってなお禅杖は持ち上がらず、六人がかりでようやく禅杖を持ち上げる始末であった。
 「まったく、その程度も持ち上げられんとは、鍛錬が足りんのではないか?」
 「お、お言葉ですがお師匠さま、こんな重たい禅杖を扱えるのは、お師匠さまか水牛くらいなものですよ。まったく、本当にすごいお人だ」
 「ふん、水牛にこんなことができるか」
 あんぐりと口をあけたままこちらを見つめている子分たちに見せつけるように、智深は六十二斤の禅杖を軽々とぶん回した。
 「おお……」
 五台山の麓で拵えて以来三、四ヶ月、すでにこの禅杖は、智深の腕の一部のような存在となっている。
 提轄であったときは、剣を手に仕事に励み、拳法ほど熱心ではなくとも剣術の稽古も欠かさず積み、十八般の得物の中でも剣に信頼をおいていた。
 それが今では、振りあげるのにも下ろすのにも、ぶん回すのにも突き出すのにも、禅杖ほど威力と使い勝手の良さを備えた得物はなく、己が扱うのにこれ以上の得物はないとさえ思えるのだ。
 まるで智深の手のひらに吸い付いているかの如く力強く、なめらかな弧を描く禅杖の軌跡は、旋風でもあり、花でもある。
 頭上に、背に、腹の前に、自在に禅杖をあやつり、一心不乱に目に見えぬ敵をーーあるいはそれは己であったかもしれないがー-切り裂く智深が、子分たちのやんやの歓声にのせられ、さらなる大技を繰り出そうとしたまさにその時、
 「なんと……見事な腕前!」
 聞き慣れぬのに何故か懐かしく、月の宵を思わせるのに幼子の如くはずんだ声が、怒濤の渦潮と化した智深の動きをぴたりと止めた。


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