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水滸綺伝第六回(一)

【第六回 九紋龍、赤松林にて追剥し 魯智深、火にて瓦罐寺を焼く】

 三月の麗らかな昼下がりは、気を抜けば歩いたまま眠りに落ちそうな程に平穏に流れていく。
 気ままに青い空を行く雲は形を留めず、巨大な饅頭のようになったかと思えば、千切れて幾筋もの帯に姿を変える。
 まったく桃花山の頭領たちのけちな様に嫌気がさして、あっと言わせようと思い付きで寨をあとにしたのはいいが、唯一しくじったのは、路銀になる金銀はぶんどってきたのに食料をひとつも失敬してこなかったことだ。
 白雲の塊が巨大な饅頭に見えるのも、空腹に太鼓腹を空かす智深にとってはいたしかたないことであった。
 「まったく、どこかに飯を食えるところはねぇもんか」
 つい故郷の訛りでぼやきながら、鬱蒼とした松林を足早に通り過ぎ、開けたところであらわれた光景をすがる思いでぐるりと見渡せば、民家の影は見当たらないが、少し奥まったところに、なんとも鄙びた寺があるのに気が付いた。
 折から吹いた微風に揺らされた風鈴の音に誘われるようにふらふらと近寄れば、今にも崩れそうな山門に、これまた剥がれ落ちそうなほど襤褸の朱塗りの額がかかっており、薄汚れ黒ずんだ金の字が四つ並んでいる。
 さらにその山門をくぐって奥へと進み、果たして己の重みを支えられるのかも怪しい石橋をおっかなびっくり渡っていくと、往時はさぞや大勢の僧侶で賑わい、人々の崇敬を集めていたのだろうと思わせる大きな寺が忽然と現れた。
 「これまたひどい、襤褸の寺だな……」
 倒れた鐘楼には苔がみしりと生え、守ってくれる屋根を失った仏は野ざらしのまま憂い顔を浮かべ、立ち並ぶ天界の諸神たちのうち、ひとりも五体満足な者はいない。壁の崩れた建物の隙間には蜘蛛や鳥が勝手気ままに巣を張り、境内へと至る道はもはや獣道としか呼べぬほどに草が生い茂り、いたるところに狐の糞が落ちているありさまである。
 いったいこの寺にまだ僧侶が住んでいるのかはわからぬが、かすかに線香の匂いが漂っているので、誰か人間はいるに違いない。
 訪問者を通すための知客寮でさえ、四方の壁が崩れ落ちているのを横目に、さらに奥まった方丈に足を運べば、一面燕の糞だらけのありさまに、智深はすっかり辟易して低く唸った。
 「何故これほど大きな寺が、こんなに荒れ放題になったんだ?」
 これまた蜘蛛の素まみれの錠を開けて押し入る気にもなれず、智深はしかたなしに禅杖でどんと地面を打ち鳴らし、銅鑼のような声で内に呼びかけた。
 「拙僧、旅の者だが、ひとつお斎にあずかりたい。誰かおりませんかな」
 しかし、聞こえてきたのは、古びた石垣に跳ね返る己の声だけで、返事どころか気配のひとつさえ感じられない。
 「拙僧、旅の者だ! 誰かおるなら、出てきていただきたい!」
 だが、その後いくら呼んでも誰かが出てくる様子もなく、方丈の裏手の庫裡へとまわってみれば、そこにはかまどらしきものの残骸がただしんと横たわっているだけであった。
 苛立たしげに禿頭を掻いた智深は、背に負った荷物を下ろし、もはや何の像だったのかもわからぬ台座の上に置くと、禅杖だけを手にしてあたりの様子を探り始めた。
 すると、厨房らしき建物の裏手に小さな小屋があり、なにやら扉が半分開いている。
 その隙間から巨体をねじ込んで中を見れば、そこでは年老い、痩せさらばえ、土気色の顔をした坊主が数人、身を寄せ合って、ひそひそ何かを話し込んでいた。
 「おい、くそ坊主ども! 俺の声が聞こえなかったはずはなかろうに、なにをこそこそとしているんだ。返事くらいすればいいものを」
 空腹からくる苛立ちをまぎらわすように腹の底からどなりつければ、枯れ枝のような老僧たちは、土色の顔をさらに白くして身を震わせる。
 「ど、どうか大きな声を出さないでください……」
 「ふん……まあいい。ところで俺は旅の僧なんだが、手持ちの食糧が尽きてしまってな。一杯でいいから斎を食わせてもらいたい」
 その様子に毒気を抜かれ、つとめて穏やかな調子で尋ねれば、老僧たちは幽鬼でも見たかの如き顔を浮かべ、互いに顔を見合わせ、蚊の鳴くような声で智深に答えた。
 「その……実は、我々とて、もう三日も食べるものがなく、この腹の中は空っぽなのです。おまえさまにあげられる飯はありません」
 「なあ、俺は五台山からはるばるやってきたんだ、粥でもなんでもいい、少しだけでいいから分けてくれんか」
 「五台山の生き仏さまのところからおいでとは……本来ならばお斎を差し上げて十分に接待をするべきところなのですが、いまやこの寺の僧は皆散り散り。米の一粒も残っていないありさまです。我々さえ、この三日、ひとつも食べ物は口にしていないので」
 「おいおい、寂れているとは言えこんな大きな寺に、米の一粒もないはずがないだろう?」
 「確かにおっしゃる通りなのですが……ある時、一人の道人を連れた行脚僧がやってきて、この寺の住持になってからというもの、やつらはこの寺にあるものをすべてぶち壊し、二人で乱暴狼藉、欲望のままにやりたい放題、おまけに僧侶たちを残らず追い出してしまったのです。我々年寄りは足腰が弱く、逃げることもかなわないのでやむを得ずここに残っておりますが、食い物さえもやつらにぶんどられてしまい、こうしてただ弱っているので」
 老僧の語る言い訳に、智深は鼻をならし、眉をひそめた。
 「ふん、ばかばかしい。たかが雲水と道人ごときに、いったい何ができるというんだ。それに、お前の言うことが本当だとしたら、何故すぐに衙門に訴えんのだ」
 「なにせ、この地の衙門はこの寺から随分離れておるのです。それに、衙門の兵隊ごときでは、やつらを取り締まることはできますまい……やつら、殺人放火も辞さぬ大悪党、我々ごとき老いぼれは、逆らえば簡単に命を取られてしまいます」
 「……そいつらの名は何という?」
 「雲水の方は崔道成、あだ名を生鉄仏といい、道人の方は丘小乙、あだ名を飛天夜叉といいます。やつらは、出家の格好をした山賊でなのです」
 「ふん、仰々しい二つ名など名乗ったところで、所詮は江湖の噂にも上らぬ小悪党。いったい何が怖くて………ん?」
 ふと、何か腹の虫に訴えかける匂いが漂った気がして、智深はしかめっ面を上向かせ、ひくひくと鼻をうごめかせた。
 「あ、あの」
 「どけ!」
 智深の着物を掴もうとした老僧の手をすり抜け、大股に奥の方へとまわった智深は、思わずごくりと生唾を飲んだ。
 なんとも食欲をそそる匂いとともに立ち上る湯気に手をつっこみ、古びたかまどの蓋をがばりと取れば、案の定、鍋の中では粟粥がちょうどいい塩梅に煮え立っている。
 「こら、老いぼれの糞坊主ども!」
 雷鳴のような怒声をあげながら、智深は老僧たちを振り返った。
 「何が三日も米一粒も食ってない、だ。ここできちんと粥を煮ているではないか! 出家のくせに、嘘をつきやがったな?」
 「ち、違うのです……!」
 さきほどまでのぐったりとした様子が嘘のように、老僧たちは慌ててよたよたと立ち上がり、揃いも揃って茶碗や皿や柄杓を手にするとそれを戸棚の奥へと押し込み、その扉の前で身を寄せ合って恨みがましくこちらを見上げた。
 「どうかお許しを……」
 せっかくの飯を目の前にして、それを掬う柄杓も盛り付ける器も奪われた智深は、あまりの空腹にくらむ目を瞬かせ、小さく唸りながらあたりを見回した。
 すると偶然、かまどのそばに、仏前用の小ぶりな食台が放りなげられているのが目に入る。
 「しめた」
 まさに背に腹は代えられぬ状況である。
 離さず握り締めていた禅杖を壁に立てかけ、かまどのそばの藁を拾い上げ、すっかりほこりをかぶった食台をそれで拭った智深は、粟粥の煮だつ鍋を抱えあげると、そのまま中身を食台にぶちまけた。
 「なんということを……!」
 「うるさい、腹が減っているという人間を前にして、飯を隠すようなやつへの分け前はないぞ!」
 粥をめがけて飛んできた老僧たちを押しのけ、蹴倒し、食台を抱え込むようにして粥を手で掬い、飢えた野生の獣の如き勢いですする。たかが粟粥でも、これほど腹が減っていれば豪勢な牛肉にひけをとらぬうまさである。
 「なんというひどいお人だ……私たちは、本当に三日間何も食べていなかったのに……。ついさっき、やつらが出かけた隙をついて托鉢に赴き、ようやくかきあつめた粟だったのですぞ……それをおまえさまにすべて食われてしまっては、もう……」
 さらに粥を啜ろうと大口を開けた智深はしかし、老僧たちの細々とした恨み言をうっかり聞いてしまい、暫し逡巡した後、ばたりと食台を床に戻した。
 (ええ、どうにも、この手の泣き言は気が滅入る)
 禿頭をぼりぼりと掻き、不貞腐れたように唇を突き出し、老僧に残りを食うよう促そうとしたその時、智深の耳にふと、誰かの鼻歌が近付いてくるのが聞こえた。
 「……こんなところに用事があるとは、いったいどこのどいつだ?」
 不審に思い、禅杖を手に握り締めて外に出てみれば、ちょうど崩れた塀の向こうから、一人の道人らしき男がやってくるところだった。
 「あんたは東、おいらは西に
 あんたは旦那に先立たれ、おいらはかあちゃんに逃げられた
 かあちゃんがいないのにくらべれりゃあ
 旦那がおらんのはさびしかろう……」
 鼻歌では飽き足らず濁声で歌い始めた男は、黒い頭巾をかぶり、木綿の上着を細帯で締めた道人の姿こそしているが、担いだ天秤の片方には魚や肉を詰め込んだ籠をぶら下げ、もう片方にはぷんと良い匂いのする酒の瓶をぶら下げている。
 「おまえさま、ほれ、あの男が先程お話しした、例の飛天夜叉、丘小乙ですよ」
 おっかなびっくり智深の後ろに隠れて様子を窺っていた老僧の囁きに、なるほどとひとつ頷くと、智深はその巨体にできうる限りの静かさでもって丘小乙のあとをつけ始めた。
 ぎょろ目の太った坊主にあとをつけられているとも知らぬ丘小乙は、足取りも軽く方丈の裏側の塀を抜けて奥へと入っていく。
 そそくさと智深もついていくと、塀の向こうでは、立派な槐の木陰に出された卓の上に溢れんばかりの料理が並べられ、でっぷりと太った雲水がなんとも好色そうな顔をぶらさげて座っている。
 眉も肌も黒光りしたその雲水の隣には、若く顔色の悪い女が俯きながら座っており、先ほどの道人も天秤棒を肩から降ろすと、女を挟むように卓についた。
 にたにたと笑いながら女の肩に腕をまわすその様に、智深の中の癇癪玉がむくむくと膨れ上がり、つい、「やい、貴様ら」と大股に彼らの前へ姿を現せば、男たちは仰天して立ち上がり、へらりと笑って拱手した。
 「やあ、お坊様。あなたもどうです、こちらにおかけになって、一杯ひっかけませんかな」
 「何が一杯ひっかけませんか、だ!」
 禅杖で地を打ち鳴らし、智深はわめき散らした。
 「貴様ら、よりにもよって坊主を脅して、この寺を奪った挙句荒らし放題、飯も食わせず自分たちだけ宴を設けるとは何事だ! いったいどうしてそんなことをする!」
 「……ま、まあ、お坊様、落ち着いて、私の話を聞いてくださいよ」
 ぎょろ目を剥く智深の剣幕に僅かに後ずさりながらも、雲水は怯まなかった。
 「どんな言い訳があるってんだ」
 「こちらの寺は、昔はとても御立派で、僧侶も数多く田畑も潤っていたのですが、それをあの老僧どもときたら、酒を飲んで勝手をし放題、寺の寄付を持ち出して女を買う悪行の数々。長老様でも制しきれなくなり、それどころかあいつら、長老様を追い出してしまったのですよ。それ以来この寺もすっかりこんな有様で、僧侶たちはみな逃げ去り、田畑も荒れ放題、そんな田畑すら金にかえようと売り払っちまったもんで……私とこの道人は、このたびここの住持を拝命しましてね、それで、山門も建てなおして、伽藍も修理をして、昔の姿を取り戻そうとしているところなんですよ」
 さきほどの好色そうなにやけ顔はどこへやら、随分と真摯な口調で語る雲水の言葉が、まったくの大嘘とは思えず、智深は逆立った眉根をぐいと寄せた。
 「じゃあ、そちらのお嬢さんはいったい何者だ? お前たちまで、女を買っているわけじゃあるまいな?」
 「めっそうもない! こちらの娘さんは、近くの村の庄屋をやっている王さんのご息女。お父上は以前こちらの寺の施主様だったのですが、今は財産をすっかり失い、お父上をはじめご家族は皆さん亡くなられ、ご主人も病になられましたので、お米を借りに私どもを訪ねて来られたのです。施主様のお嬢さんとあらば、心ばかりの食事でもてなすのが我らの務め、ですからこうして一緒に卓を囲んでいるので。まさかお坊様……あの老いぼれどもの妄言を、信じていらっしゃるわけではありますまいな?」
 「むう……!」
 元来、難しいことを考えられる頭ではない。雲水の言葉は流れるように筋が通っているし、女の顔が青ざめているのも家族が不幸に見舞われたのならもっともだ。
 それでは先程の老僧たちの言葉は、すべて嘘だったということか――智深の求めにも応じず、粥を隠していたことを想えば、嘘を吐かぬとも限らない。
 「あの老いぼれ坊主ども……さては俺を謀ったな?!」
 膨れ上がった癇癪玉はたちまちその怒りの矛先を変え、智深は禅杖を抱えなおすと、肩で風を切って老僧たちのもとへと引き返した。

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