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星盗人(九)

「なんて美しい衣なんでしょう」
 異国の品物を売る店主は思った通り、まるで山もりの餌を前にした豚のように鼻をひくつかせ、目をぬらぬらと光らせながら、時遷に近寄り揉み手した。
 「これは奥さん、お目が高い。それは遥か西の国から仕入れた衣、ほら、この国じゃあ見られねぇような柄の刺繍がみごとでしょう」
 「でも……色が、派手すぎませんこと?」
 「そんなことはございませんよ。それを着て、さっきの旦那さんの前でくるっとまわってごらんなせぇ、旦那さんは体の芯まで熱くなっちまいまさぁ」
 なんとも下卑た物言いに、眉を顰めながらも心惹かれた顔を浮かべてやれば、この世間知らずの奥さんはうまいこと引き込めそうだと確信したのであろう、ごくりと唾をのむ音がこちらにまで聞こえてくる。
 (けっ、梁山泊の名を使うなら、もっとうまくやりやがれってんだ)
 内心の罵倒はつゆほども出さず、時遷は白魚を装った指先で次々と、店先の商品を品定めする。見たところ、本当に価値のあるものはひとつもない。売り物までまがい物とは、笑えるほどにしょぼい野郎だ。
 「こんなに珍しい品物がたくさんあっては、目移りしてしまいますね」
 「へへ、そりゃどうも。店の奥には、男物の衣もありますよ。仲良しの旦那さんに、一枚内緒で贈ってあげるってのはどうですか?」
 まさかその『仲良しの旦那』が、梁山泊の好漢だとは、こいつも夢にも思うまい。まあ、それを言えば、目の前の若奥さんも一応、その好漢の一人に名を連ねているのだが。
 「それは素敵ね。店主さん、どうぞ見せてくださいな」
 「へいへい、こちらへ」
 待っていましたとばかりに店主が暖簾をかきあげ、時遷を内に招き入れる。
 店の中は、確かに店主の言葉通り、四方の壁にたくさんの衣がひっかけられ、仕立てのための道具までご丁寧に置かれていた。だが、その道具のどれひとつとて、使われた形跡はない。
 右手奥にぞんざいに置かれた屏風は試着のためのものであろう。左手に続く扉は、私室に通じるものか。
 一見なんの変哲もない店構えだが、
 (ありゃあ、衣装の紐じゃねえな)
 帯に交じってぶら下がっている紐は、あきらかに、人を縛るためのものだ。
 そして私室に続くと思しき扉――時遷の目には扉に映るが、普通の人間が見れば、壁の一部にしか見えないであろう細工がしてある。
 夫に似合う衣を探すふりをして素早く衣装棚の奥に手を伸ばせば、普通の商人が持っているはずもない拷問具が隠されているのが指先の感触でわかった。
 「ところで奥さん」
 生臭い吐息が首筋にかかるまで背後に近寄ってきた男の手には、先ほど店頭で時遷が熱心に見ていた水色の衣が握られている。
 「先程からこちらの衣を気にされていましたね、ぜひ、合わせてみてはいかがです?」
 「でも、まだ買うと決めたわけでは……」
 誘うように、だが、あくまで無防備に、小首をかしげて白い首筋を男の目の前に晒す。
 「なんだ、そんなこたぁ気にしなくていいんですよ。さ、こちらへ」
 「あ、あの」
 汗ばんだ肉厚の掌が、若妻の細い手首を掴む。
 「この異国の衣は、着るのが少し難しくてね。あっしが着付をお手伝いいたします」
 「い、いやだわ、何をおっしゃるの」
 息を荒げて体を引き寄せられたので、怯えた色を浮かべてやる。男の欲をそそるように、絶妙に体をかたくして震わせれば、まんまと店主がその仮面をはがし始める。
 「いいじゃねえか奥さん、本当はあんただって、ちょっとその気になったんだろう?」
 「なんて無礼なの……! おやめなさい、今なら私の胸の内にしまっておいてあげますわ」
 「その偉そうな口ぶり、たまんねえなあ。気丈なことをいったって、体のほうは熱くなってきたじゃねえか」
 着物越しに時遷の体をなぞる店主は、熱くなった人妻の体に触れたつもりでにたにたと笑う。己の手が触れているのが、手製の詰め物の下に隠れた男の体だと知ったら、さぞやがっかりするだろう。
 「い、いい加減になさい、あなたもさっきご覧になったでしょう、私の夫が近くにいるのよ」
 「あんな金と面だけで甲斐性もなさそうな男、怖くもなんともねえや。あんだけあんたにべたべたしておきながら、買い物に付き合うのが面倒だってんで、妻をこんな男のところに置き去りにするんだからさァ」
 「ひっ……!」
 ついに我慢ならぬというように、ざらついた舌でべろべろと首筋を舐りながら、店主は時遷を抑え込んだのとは反対の手で縛り紐を手繰り寄せ、己をつっぱねようとする若妻の両腕を縛り上げた。
 「なぁに、すぐによくなるさ、俺なしじゃあいられねえ身体にしてやらあ」
 どうしてこうも、この手の色魔が放つ言葉というのは皆一緒なのだろう、などと考えながら、時遷はせいぜいかわいらしく抵抗を試みてやる。色魔というのは、抵抗されるほど燃え上がり、その分、油断をするものだ。
 「いやよ、大きな声を出すわ」
 「ふん、そんな蚊の鳴くような声で言われたってなあ」
 舌なめずりをした店主は、時遷を抱え上げると隠し扉を乱暴に開けた。案の定、扉の内は商売人の生活の場などではなく、黴臭く乱れきった寝台がひとつと、空のもの、満たされたもの、大小さまざまの酒壷が並んでいる。
 「へへ、ほんとぁ最後まではやらねえ約束だが、あれだけあんたをかわいがってる旦那の目と鼻の先であんたを犯す気持ちよさにゃ変えられねえ」
 なるほど、人妻を拐しはするが、色よりもまずは金が目当てか。そして、どうやらこの件の黒幕は、こいつのほかにいるらしい。
 「やめて……お金ならあげます、いくらでもあげますわ、だからお願い、ひどいことはしないで……!」
 「どの女もそういうんだ、まったく金持ちってのはつくづくいいご身分だぜ……」
 「あなた、ほかにもこんなことを? なんてこ、と……!」
 着物の裾を割ろうとする手から身を捩りつつも、快楽に抗えないかのように吐息を乱し、顎を反らしてやれば、調子にのった店主はなんとも得意げに喋り出す。
 「なぁに、簡単さ。あんたみたいなお嬢さん育ちの若奥様をちょいと珍しい品物でたらしこんで、犯す、殺す、と脅してやればおとなしくなる。あとはそいつらを人質に、旦那どもから金をまきあげる。梁山泊の賊と名乗ってやれば、どんなに強情な野郎でも、腰を抜かして大金を差し出すって寸法よ……この幾日かで何人も人質を捕まえはしたが、すぐそこに押し込めてんのに犯せねえんじゃ生殺しってもんよ、なあ、俺はこんなに我慢してんだ、あんた一人くらい、犯したって罰はあたらねえよなあ?」
 たやすく体をひっくり返されうつぶせにされた隙に、再び部屋の中にすばやく目を走らせる。
 よくよく見れば、酒壷が並んだ棚のうちの一つの足に、やたらと傷がついている。目を細めれば、その棚の奥の壁には細い隙間が空いていて、日の光がほんのわずかに漏れている。やはり、裏の雑木林に続く扉だ。すぐそこ、ということは、女たちを捕らえている場所はそれほど奥まった場所ではないはずだ。
 それでも誰も周りのものが気づかないということは、女たちは縛り上げられ、轡でも噛まされているか……だが、大事な人質を死なせることはないはずだから、飲み水くらいは届けているだろう。幾日か水だけで過ごしては弱りもするだろうが、歩けない程ではないであろうから、解放されれば自力で逃げることはできる――
 (他愛ねえなぁ……)
 嬉々として帯を解こうとしている店主には悪いが、眠らせてやるほどの奴でもない。足に触れる指先も湿って気色悪いことだし、はやいところ、決着をつけてやるとしよう。
 「……いや、そこ……」
 さらに奥まで這い上がってくる掌を一瞬のうちに内股に挟み込み、得意の縄抜けではやばやと自由になった手を伸ばし、ぐい、と店主の手を掴み、からかいがてら、女でない証を知らせてやる。
 「……げ! お前……!」
 「いやだわぁ、おじさん、物好きね」
 素の声に戻ってにたりと笑い、夢から醒めたように顔色を失った店主の腕を折らんばかりの勢いでひねり上げる。
 「おい、こら、梁山泊の名を騙るんなら、もう少し頭を使って、でかいことをやりやがれってんだ!」
 「じゃ、じゃあ、お前は」
 「この鼓上蚤時遷さまを詐欺にかけようなんざ、百年はやいよ、おじさん」
 啖呵を切り、解いた縄を、この愚鈍な店主よりもよほど素早く手繰り寄せ、逃げようとする手を縛り上げる。
 「……ふん、あいつを呼ぶまでもねえや」
 なんともあっけなく、文字通りお縄となった男を見下ろす。あれほど粋がっていたわりに、随分おとなしくなってしまった男が、まじまじと自分を見つめている様は、なんとも間抜けだった。
 「なんだよ、そんなに見たって、ついてるもんはひっこめられねえぞ。人妻じゃなくて悪かったよ、せいぜいあの世で閻魔の手下にでも、そいつをちょんぎってもらえばいいさ」
 だらしなく嵩を張った股間を一瞥し、鼻先で笑いながら、茶店で待ちぼうけているであろう「旦那さま」のことを思案する。
 せっかくめかしこんで意気揚々とやってきてもらったのにそのまま帰らせるのもなんだから、こいつを運ぶくらいは任せてやろうか。そういや黒幕がいたのだから、そいつをおびき出して縛り上げさせるか。それとも捕らわれの女たちは、女装の男に助けられるよりは美男に助け出される方がいいか――
 「……親分、ほんとに来たよ、見つけたぜ!」
 考え込む時遷の背後で、突然、店主が大声をあげる。
 何を今更、と振り返ろうとした時遷はしかし、突如己の背を襲った熱に、思わずその場にうずくまる。
 「おう……待ちくたびれたぜ、鼓上蚤」
 「な、に……を……?!」
 鞭で背を打たれたのだ、とわかった時にはすでに、時遷の体は大柄な男にのしかかられていた。
 「この顔に覚えはねえか? こそ泥野郎」
 嘲るような声を辿って目をあげれば、そこにいたのは、顔に罪人の刺青を施された無精ひげの男。
 「……おいおい、新手の口説きか? てめえみてえな小汚ねえ男の顔、いちいち覚えてるわけねえだろう」
 「ふん、生意気いいやがって。あの時、もっとはやく、お前の手足を折ってやればよかったよ……あの病関索の野郎に嗅ぎつけられる前にな」
 兄とも父とも慕う人の名を出され、時遷の頭の中を目まぐるしく駆け巡っていた記憶が、ある一点でひたりと止まる。
 目の前で薄笑いを浮かべる男は、かつて薊州の薄暗い牢で、己を殺そうとした牢役人の一人だった。


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