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水滸綺伝第五回(四)

【第五回 小覇王、酔って花嫁の床に入り 花和尚、おおいに桃花村を騒がす】

(四) 
 
 劉太公とともに駕籠に乗せられた智深が、馬上の李忠一行に案内されて桃花山の寨に到着したころには、とっくに夜は明けていた。
 明るいところで見れば、けちな周通や山賊になりたての李忠、そしてどうにも気質の弱そうな男たちが根城にする割には、なかなかに立派な山寨である。
 「さ、兄貴、太公、こちらに座ってください。おい、周通! 周通、来い!」
 智深たちを本陣の上座に座らせた李忠は、一体大王は何故先ほどまで殴り込んでやると言っていた相手を連れて戻って来たのかと怪訝な顔をする手下たちの間を縫って広間を抜け、しばらくすると誰が見ても不機嫌とわかる顔をした弟分を引き連れて戻ってきた。
 「兄貴、なあ、俺の仇取ってくれるって言ったよな? なのに、仇討ちどころかどうしてこの糞坊主を一番の上座に座らせているんだよ。それとも、たっぷりもてなして油断させるって寸法か?」
 「まあ、そう拗ねるな。お前は、この好漢が誰だか知らないようだ」
 「おいおい、知り合いなら俺の男前の顔にこんな傷をこさえたりしないだろうよ」
 ぶすっと口尻を下げる周通をなだめるように彼の背に手を添えた李忠は、智深の真ん前まで彼を歩かせ、そして自慢気に胸を張った。
 「この和尚さんは、誰あろう、俺がお前によくよく話して聞かせていた魯達殿――拳三発で鎮関西を殴り殺した好漢だ。今はわけあって僧形となり、魯智深と名乗っておられるがな」
 「……はあ?!」
 しばらく李忠の言葉を心の内で反芻していたらしい周通はしかし、目の前の人物が常々あっぱれと憧れていた江湖の好漢であることを解すると、先ほどまでのむくれっ面はどこへやら、目を輝かせてがばりと平伏した。
 「なんてこった、目がついていながら泰山も見抜けないとはまさに今の俺のこと。魯の兄貴とは知らず、大変な失礼をいたしました。どうかお許しを」
 「はは、男前の顔をぶん殴って悪かったな。さあ、そんなところで這いつくばっていないで、こっちへ来てお前も座れ。劉のじいさんも、ほら、何故いきなり立ち上がる。何も怖いことなんかない、さ、座って」
 きらきらとした眼差しに気分をよくした智深は、おろおろと腰が引けたまま立ち尽くす劉太公を強引に隣に座らせ、周通の顔をじ、と見つめた。
 「周通よ、李忠に聞けば、お前も悪い気を起こしたわけではないとは言え、今回の縁談の話はちと強引すぎると思わんか。お前は知らんだろうが、お前が嫁にと望んでいたあの娘さんは、劉太公の一人娘。じいさんは今後の暮らしも自分が死んだあとの供養も、あの娘だけが頼りなんだ。それをお前がこの山に連れてきちまったんじゃ、じいさんは頼る相手もいなくなってしまうだろう。じいさんも娘さんも、お前たちが山賊をやっているんで怖くて断れなかったが、そもそも父娘そろって望まぬ縁談、どうかここは俺の言うことを聞いて、別の相手を探してはくれんか」
 神妙な顔をして智深の言葉を聞いていた周通は、ちらりと劉太公を見て、そして再び智深を見た。
 「……俺はただ、あの娘さんが健気で、可愛くて、幸せにしてやりたいと思っただけだ」
 「それはそうかもしれんが、そもそもあの娘さんは、どこの馬の骨とも知らん山賊稼業のお前の嫁になど、なりたくはないんだ。好漢なら、潔く諦めろ」
 「ああ、わかった、わかったよ! 何もそんなにはっきり言うことないだろ……でも、そうか、娘さんが嫌なら、しかたないな」
 まだすっかり納得したわけではなさそうだったが、それでも周通は、彼にできうる限りの真摯な顔で劉太公に向き直った。
 「こんなふうに結納品も持ち帰ってきてもらったんだ、もう二度とあんたたち父娘を困らせることはしない。騒がせて悪かったよ」
 「ああ……大王さま、なんと寛大なお言葉。我々父娘、心から感謝いたします」
 智深と李忠が先になだめていたとは言え、やはり当の本人の口から諦めの言葉を聞いて安堵したのだろう、娘を手放さずに済んだ劉太公は、細めた目に涙さえ浮かべ、何度も周通に向かって拝礼する。
 「俺も男だからな、男に二言はないぞ。これが誓いの証だ!」
 手下が背に負う矢筒から一本の矢を抜いた周通の両手の中で、その太い矢は軽やかな音を立てて二つに折れた。

 それから数日、とりたてて急ぐ旅路でもない智深は、李忠と周通たっての願いで桃花山の寨に留まった。さすがは名高い青州三山のひとつ、浮足立つ二人に案内されて見て回った山の景色は、どこをとってもすさまじさが迫り来る。四方は険しい断崖を見下ろし、登るにも下りるにも道は獣さえも難儀するような険しい細道が一つきりなのを見れば、なるほどどこか呑気な桃花山の山賊連中であろうと、なかなか攻めたてられはすまいと思われた。
 小高く突き出た崖の上に立ち、青みを増し始めた草むらを眼下に見渡せば、朝霧の向こうには同じく青州三山のひとつ、二龍山の姿がぼやけて見える。その威容は、桃花山よりもさらに険しく見えて、智深は思わず目を細めた。
 「天然の要害、というやつだな」
 あの山に寨を築けば、もと軍人とはいえ大軍を指揮するような職ではなかった己でも、いともたやすく敵の侵入を防げそうだなどと、この先縁もないであろうことをふと考える。
 「いつまでもこうしてはおれんなあ」
 胸にあてた手が着物越しに触れたのは、いまだ懐にしまわれたままの、智真長老の書状である。
 二人の頭領の手前、なかなかすぐに山を下りるとは言い出せなかったが、それにしてもこの桃花山は少しばかり気が抜けすぎている。
 己の義侠心を熱心に語る割には、周通も、そして李忠も、大きな博打に出るほどの義挙を起こすわけでもない。時折ふもとを通る小金持ちを脅かしては金品を奪い、それをなんとも細かく分配する様を見ていては、たとえ山賊に身を落とす覚悟をしたとて、こんなけちけちとした山でともに暮らせはしないだろう。
 そうと決まれば、ここに長居をする理由もない。せめて二人の頭領たちに挨拶くらいはしてから出立しようと踵を返せば、ちょうど李忠と周通が、己のためにと酒を抱えてこちらへやってくるところだった。
 「魯の兄貴、そんなところにいたのか。ちょうどいい、上酒が手に入ったところだから、ひとつ盃をかわそう」
 「……いや、結構」
 上酒、という言葉と、言葉通りに漂うよい香りにあやうくほだされそうになるが、智深はつるりと禿げ頭を撫で、二人の頭領を順番に見つめた。
 「よくしてくれたあんたらには悪いが、俺はそろそろ先を急ごうと思う。このままここに留まっていちゃあ、俺の師匠にも、訪ね先の坊さんにも心配をかけるんでな」
 大酒を飲んで寺を追われた坊主が言うにはあまりにも殊勝な言葉と思ったのだろう、李忠と周通はあからさまな驚き顔を見合わせる。
 「なんだよ兄貴、あんた、ずいぶんしおらしくなっちまったんだな」
 まるで智深を試すように酒壷を掲げ、李忠が目を細めた。
 「兄貴の言ってたその東京の坊さんってのは、信頼できるのかい? いくら兄貴のお師匠さんの弟分とは言え、罪を負った兄貴を受け入れるどころか、役人に突き出すかもしれないぞ」
 「そ、そうですよ。兄貴ほどの男がおとなしく坊主らしい暮らしをするなんて。それより、ここにとどまって、俺たちの親分になっちゃくれませんか。俺だって李忠の兄貴だって、魯の兄貴が頭領になるなら喜んで席を譲るのに」
 かつての智深ならば、豪傑よ好漢よと己を認める者の言葉に勇気をもらい、どうなろうとままよと落草の道を選ぶこともあったろう。
 だが、大きな騒動を起こした己を、それでもまったくすべて見捨てようとはしなかった師の言葉が、今は胸の中にある。
 「林に遇いて起ち…」
 「え、兄貴、何か言ったかい?」
 林というのが、劉太公の屋敷のまわりの雑木林のことなどではないことくらい、とうにわかっていた。
 「あいや、独り言だ。せっかくの申し出だが、これでも俺は一度出家となった身。師匠への恩を捨てて落草し、山賊になることだけはできんのだ」
 口調こそ和らげたが確固たる決意を持った智深の眼差しに、周通の方はまだ何か言いたげに口元をもごもごさせたが、李忠がその肩を叩いてとどまらせた。
 「わかったよ、兄貴、そこまで言われちゃ無理強いはできないな。だけど、今すぐ出てかなきゃいけないってわけでもないだろう? 俺たちが明日、ふもとでひと稼ぎして、兄貴の路銀を調達する。明日は宴を開くから、最後に酒をかわし、路銀を受け取って、それから発ってくれ」
 二人そろって何度も頭を下げられれば、やはりそこは断り切れず、智深はしかたなく出立を一日先送りにすることを約束した――のだが。
 (一体、どういうことなんだ)
 羊や豚、菜に飯に酒と、なんとも豪勢な宴の席を彩る金銀の器を眺めていれば、久方ぶりに癇癪玉がむくむくと膨れ上がってくる。
 「兄貴はどうぞ、ゆっくりしていて下さいね。俺たち、兄貴へのはなむけをちょっとばかり稼いできますから」
 ふもとに偉そうな小金持ちが荷車引いてやってきた、という報告を受けた李忠と周通が、得意げに顔を輝かせながら武器を手に去っていく姿にすら苛立ちを抑えきれない。
 「……おい!」
 ついに智深は岩のような拳で卓を激しく打ち鳴らし、雷鳴のような声にびくりと肩を震わせた子分たちが何事かとおそるおそる近づいてくるのをぎろりと睨みつけた。
 「お前たちの親分は、どうしてああもけちなんだ! 見ろ、この寨にはこんなに山ほどの金銀があるっていうのに、俺へのはなむけだといって、そこから取り分けようとせず、たいした悪にもならん小物の財産を奪ってくると来た。いったいそれのどこが義理だってんだ? まったく腹が立つ! お前たちもぼさっとしてないで、さっさと酒を注がんか!」
 「は、はい!」
 二人の子分がかわるがわる、震える手で注いだ酒を二杯飲み干し、智深はひとつ髭面を撫でた。
 (ここでこうして怒鳴り散らしていても時を無駄にするだけだ。いっそやつらを脅かしてやろう)
 一人頷くと、智深は、三杯目を注ごうとする子分の腕をむんずとつかんで立ち上がり、ふわりと振り上げたげんこつで子分たちをぽかりと殴りつけた。
 「魯、魯の兄貴?! いったい何をするので……いた!」
 「黙りやがれ、すべてはお前たちの親分が悪いんだ」
 白目を剥いてひっくりかえった子分たちを、解いた腹巻でぐるりと縛り上げ、魚のようにぱくぱくとする口には余計なことを喋らないよう、手近な麻布を丸めて突っ込む。
 「ふん、東京までならこれで十分か」
 そして卓の上に並んでいた金銀の器を床に転がし、思い切り踏みつけて平らにしたものを包みにくるんで背に負うと、のしのしと大股で寨の中から歩み出て、ぐるりとあたりを見渡した。
 「表門に続くあの一本道を下ってもいいが、そうするとやつらと鉢合わせる……ならば、この崖を下っていくしかないな」
 寨の四方をとりまく崖から眼下を見れば、西側は断崖というほどの絶壁でもなく、茂みに身を委ねて転がれば、さして怪我もせずにふもとにたどり着くことができそうであった。
 「恨むなよ李忠、周通」
 まずは腰に提げた戒刀に金銀の入った包みを結わえ付けて落とし、次に錫杖を放り投げると、す、とひとつ息を吸い込み、思い切って崖の上から身を投げる。
 ぐるぐるとものすごい速さで回る景色の、その大半を占める青々とした草葉が幸いし、どたり、とふもとに転がり着いて己の体を検分しても、傷の一つも見当たらなかった。
 「やれやれ、随分転がったが……」
 見上げれば、遥か頭上に、寨の屋根飾りが小さく姿を見せている。
 「行くとするか」
 足元に散らばった戒刀と禅杖を拾い上げ、金銀の包みを再び背に負うと、智深はすっきりとした顔をあげて、歩き始めた。

 「やい、てめえ! ここで会ったが運の尽き、その荷を置いてきゃ、命までは取らないでやるぞ」
 そのころ李忠と周通はと言えば、智深に宣言したとおり、運悪く桃花山のふもとを通りかかった貧相な小金持ち相手に刀を振りかざしていた。
 「ひ、ひい、親分様、どうか見逃してくだされ……! これは商いの品物、これがなければ稼ぎが……!」
 「ごちゃごちゃうるさい! お前の家の使用人が、ひどい扱いをうけているのに給金がこれっぽっちも上がらないと嘆いているのを知っているんだからな」
 「なにをでたらめを……旦那様、ここは私が!」
 護衛役らしき一人が果敢にも李忠にとびかかり、周通や子分たちもそれに加勢しもみ合うこと数十合、七、八人が李忠と周通の刀の餌食となったところでさすがに敵わぬと悟った護衛役たちが、ほうほうの体で主人を支えながら踵を返す後姿に、李忠と周通は高笑いをあげた。
 「はは、悪党め、これに懲りずにまたこの道を通ればいいさ!」
 「ふん、何が商いの品物だ。見ろ周通、こっちの袋は反物だが、こっちは全部銀子だ。これだけあれば、兄貴の路銀にはじゅうぶんだろう」
 銀子や反物がぎっしり詰まった荷車を何台も手に入れ、意気揚々とした李忠たちがさっそく山寨に戻れば、なぜか広間に人の気配はない。
 「うわ! お前たち、何してるんだ!」
 おまけに、智深の相手をしていたはずの子分たちはなぜか二人まとめて縛り上げられ、その上丹精込めた肉や菜が無残に散らばった卓の上からは、金銀の器がすっかり消えてなくなっている。
 「に、二の大王、あの坊主、なんともひでえやつですよ!」
 縄をほどいてやった周通に、子分たちが泣きついていうには、智深はさんざん李忠と周通の悪口を言ったあげくに子分たちを殴りつけ、卓の上の金銀の器をもってすたこら逃げたという。
 「あのでぶ坊主……! しおらしいふりをして、やっぱり性根は変わっていなかったか! いったいどこから逃げやがった」
 「俺たちとは鉢合わせなかったんだから、きっと裏山を転がっていったんだ」
 周通の言葉どおり、寨から出てあたりを見渡せば、西側の崖に生い茂る草葉がふもとのほうまで一直線に押しつぶされているのが見て取れる。
 「くそう、追いかけて、俺たちの財を取り返してやる!」
 「まあ待ってくれよ兄貴、そう怒らないで」
 息巻く李忠を押しとどめたのは、意外にも、ほかならぬ周通だった。
 「来るもの拒まず去る者追わず、とよく言うだろ。魯の兄貴が東京に行くのにどの道を使うかもわからんし、たとえ追いかけていったって、あの人に俺たちがかなうはずもない。これ以上の面倒ごとはごめんだぜ。それよりも、今はもうこの銀子と反物は不要になったんだ、盗まれた財のことはあきらめて、これをみんなで山分けしよう」
 智深にしこたまに殴られた夜のことを思い出したのだろう、ぶるりと体を震わせた周通の言葉は、確かにもっともなものだった。
 「以前のよしみで俺があのでぶを寨に連れてきたのが悪かったな。そのせいでお前らも大損だ、俺の取り分はいらないから、お前たちで分けてくれ」
 「はは、兄貴、何を急に弱気になって。俺たちは兄貴と生死をともにすると誓った義兄弟、そんな水くさいことは言いっこなしだぜ」
 「すまないな。あのでぶの糞坊主、次に会うことがあれば、俺たち桃花山がただじゃおかないぞ!」
 智深が飲み残した酒を一気に呷ると、李忠は拳を握りしめて叫んだ。


<第五回 了>

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