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水滸綺伝第四回(六)

【第四回 趙員外、魯達を文珠院に出家させ 魯智深、五台山にておおいに暴れる】

 (六)

 「智深、智深はおるかい……おや、そんなところに」
 翌朝、かすかに痛む頭を振りながら仏殿の裏で用を足す智深のもとに、長老の従者がやってきた。
 「用が終わったら、長老様のところにいらっしゃい。話があるそうだよ」
 「話……」
 泥酔したまま眠りに落ちた智深とて、さすがに昨日のことは克明に覚えていた。
 手を洗い、うってかわっての殊勝な態度で従者の後に続きながら、智深は柄にもなくこれまでの己の行動を省みていた。
 悪漢を殴り殺したとき、素直に法の裁きのもと罰を受け入れればよかったのか。
 それとも心根を入れ替え、酒も肉も断ち俗世に目を背けて仏の道に帰依することを受け入れればよかったのか。
 だが、どちらの道を選んだとて、結局己の想いは遂げられることはないのだ。
 「……来たか、智深や」
 むっつりと口を閉ざし、あからさまな不満顔で現れた智深をしかし、長老は杖で打とうなどとは言わなかった。
 「お前はもともと軍人であったとはいえ、今は趙員外殿のおかげでこうして出家となり静かに日々を暮らす身。お前が出家したあの日、私はお前の頭を撫でて、五戒を授けたはずだ。忘れたわけではないだろう?」
 その口ぶりは、まるで、わがままな子をいさめる親のようでもあり、出来の悪い弟子に言い聞かせる教師のようでもあった。
 「五戒は僧侶の生きる道そのもの。出家はなによりも酒を飲んではいかんというのに、お前は昨日ひどく酔っぱらい、門番を殴り倒し、倉庫の格子戸を破壊し、そのうえ寺男衆を追いつめ騒ぎ立てた。何故そのようなことをするのだ」
 何故、と問うその言葉が、答えを求めているわけではないことくらい、智深にも理解できた。
 どのような理由を並べたところで、しでかしたことには変わりはなく、そして、しでかしたことでしか人は他人を量らない。それは所詮、俗世であろうが寺であろうが、変わらないのだろう。
 「もう二度とあのような真似はしません」
 跪き、足元で頭を垂れる智深に向かい、長老は小さなため息をついたようであった。
 「……智深や。趙員外殿に感謝するのだぞ」
 そして、皺深い手が、智深の手を取り立ち上がらせる。
 「今日はともに朝餉を取ろう。酒はないが、茶の盃ならばいくらでも交わしてやろう」
 「は……」
 目を細めてこちらを見上げる長老の表情に、智深は知らず、両の手を合わせ――そしてその日から智深は、寺の外へ出るのをやめた。
 朝と夕は、毎日必ず長老とともに食事をした。
 俗世のことになど見向きもしないほかの僧侶たちとは違い、長老はしばしば下界へ赴き、世の姿を見聞きしているようだった。
 長老は上等な木綿の僧衣と僧鞋をひとそろい智深に授け、幾度も供にと誘ったが、また酒の過ちをおかしてはいけないから、と断った。
 最初こそ、今までの威勢はどうしたのか、と不思議そうにしていた長老も、あるいは智深がこの山へのぼった経緯に感付いたのであろう。外へ行こうと声をかけることはなくなった。
 そうしてひどくゆっくりと時は流れ、気が付けば、智深は五台山ですでに三か月もの時を過ごしていた。
 すでに身を切るような冬の寒さは影をひそめ、あたりは初春の陽気に包まれている。
 その日はなんとも気持ちの良い晴天で、寺にこもりがちであった智深は久々に、行く当てもなくぷらりと山門の外を散策していた。立ち止まり、下りてきた山道を振り返れば、芽吹きの季節を迎えようとしている五台山はやはり荘厳で、しばしその威容に目を見張る。
 ふと、鳥の鳴き声に耳を澄ましていると、なにやら麓の方から聞き慣れた――かつては、の話だが――固く澄んだ音が聞こえてくる。
 これは、と思い当たり、来た道を戻って銀子を懐にしまい込んだ智深は、「五台福地」と記された(読み方は長老が教えてくれた)額を掲げる山門をくぐる。
 「……なんだ、こんな場所があることをはやくに知ってりゃ、この間酒を奪ってへまをした、あんなことを起こさずに自分で大人しく買って飲んでいたものを」
 五台山の山麓に広がる五、六百軒ほどの村を見渡せば、酒屋に肉屋、八百屋に麺屋となんでも揃っている。
 「ふん、このところ、何につけても我慢のし通しだ。自分の金でおとなしく飲み食いするくらいなら、罰はあたらんだろう」
 まちの様子を見まわしながらゆったりと歩いていれば、かつて提轄を務めていた頃のことが思い出され、智深はつるりと頭を撫でた。あの頃にくらべ、随分と、失ったものがある気がする。
 「おい、親方」
 酒屋の目星をつける前に智深は、先ほど山門で聞いた音をたどり、とある鍛冶屋に足を踏み入れた。
 店先で鉄を打っていた三人の男たちは、鋼を打つ音にも負けぬ野太い声に、はっと顔をあげた。智深の顎のあたりをじろじろと見てなにやら目をあわせたあと、一番年かさらしい男が、滴る汗もそのままに、揉み手で笑いかける。
 「お、おや、いらっしゃい、お坊さん。どうぞそちらにおかけください。今日は何がご入用で?」
 「禅杖と戒刀が欲しいんだが、良い鉄はあるか?」
 「それなら、ぴったりの上等の鉄がございますよ。重さはどのくらいがよろしいですか?」
 「そうだなぁ、百斤で頼む」
 生え始めたばかりの短い髭をかきむしりながら答えれば、ひ、と妙な吐息をもらして親方が首をかしげた。
 「お坊さん、そりゃあ重すぎってもんですよ。おつくりすることはできますがね、どうやって使うというんです。かの関羽殿でさえ、刀は八十一斤だったんですから」
 「なんだ貴様、俺が関羽に及ばんと言いたいのか? 関羽と言えど、同じ人間ではないか」
 じろりと睨めば、親方は薄笑いをひっこめ、肩をすくめて後ずさる。
 「いえ、その、まあ、使い勝手がいいのは四、五十斤のものだろう、ってことです。それでも重たい方ですがね」
 「いいや、軽すぎる。お前が言っていたとおり、関羽の刀と同じ、八十一斤のものをつくってくれ」
 「ですが、それだと見た目が太くて不格好になっちまいます。どうです、お任せ下されば、お坊さんにぴったりの、水磨きの禅杖を六十二斤でおつくりしますよ。ただし、重くて使えなくっても、金は返さなくていいって約束してくださいね。戒刀のほうは、何もご心配なく。すべて心得ておりますので、こちらも上等の鉄を打っておきます」
 「ふん、いいだろう。それで、いくらになる」
 「ふたつ合わせて銀子五両、きっかりいただきます」
 おどおどと目を泳がせている割にはきっちり商売をする親方に、智深は懐から銀子を五両出して手渡した。
 「わかった、わかった。ひとまず五両だ。もしも出来がよけりゃ、色をつけてやる」
 「しかとお造りいたします」
 銀子を受け取った親方が、これで用事は終わったとばかりにさっさとこちらに背を向けるのを、肩をつかんで引き戻す。
 酒が飲みたくて降りてはきたが、ここしばらくおもしろくもない坊主たちとしか話らしい話をしていない。
 かつて酒を酌み交わした男たちのような豪傑ではないが、鍛冶屋ともあれば、色々な武勇伝を聞き及んでいるだろう。
 「おいあんた、なんなら一緒に飲まないか。もちろん、小粒くらいなら持っているから、俺が馳走するぞ」
 「あの……お坊さん、あたしゃまだ仕事が終わってないんです。すいませんが、ご相伴はできません」
 冷たく言い捨てた親方は、今度こそ用済みと、さっさと身を翻して店の奥に消えた。
 「……ふん、つまらんやつめ」
 これ以上声をかけても時を無駄にするだけと、智深もまたさっさと身を翻し、さて目あての店はないかと見渡せば、鍛冶屋のすぐ近くに「酒」の看板がたっている。
 さっそく小走りに店を訪れた智深は、暖簾をかきあげざま大声をあげた。
 「おい、小二、酒を持ってい来い」
 「はいはい、ただいま……あ!」
 にこにこと商売用の笑顔を貼りつけてあらわれた小二は、しかし、智深の姿を見ると一瞬にして笑顔を消した。
 「お坊さん、どうかお許しを。実はこの家も、この酒屋の元手も、すべては五台山のもの。智真長老からは、五台山のお僧に酒を飲ませりゃ元手を取り上げ家を無理やり追い出すとまでの言われよう。すみませんが、お坊さんに酒を売ることだけはできません。どうぞお察しくださいな」
 「おいおい、小二。実は、俺がわざわざこんなところまで降りてきたのは、酒を飲むためなんだ。お前のとこで飲んだってことは内緒にするから、頼む、一杯だけでいい」
 心底迷惑そうな顔をした小二は、坊主とは思えぬことをべらべらしゃべる智深の背を押して、店の出口に向かわせた。
 「そうはいかないんですよ、お坊さん。酒がほしいなら、どっか他所にいってください。うちじゃ、いくら粘っても出せませんよ」
 「ふん、頭のかたいやつだ。違う店で飲ませてもらった暁には、お前にしこたま文句を言いに来るからな」
 むっと唇をとがらせた智深が店を出てしばらくもたたぬうちに、また酒の看板が見えて来る。
 酒のことを考えれば考えるほど、どんどん喉が渇き切り、慌てて店に入って適当な卓につく。
 「やい、店主。はやく酒を持ってきて、俺に飲ませてみろ」
 「なんと、これはお坊様、あなた、ご出家なのにご存じないんですか。五台山の長老から、お坊様には酒を売らぬようお達しがあるんですよ、このあたりでは。我々に罪をかぶせたいのですか」
 「なんだと、貴様も同じことを言うとは。ではこうしよう、ぜったいにお前の名は口外しない、その約束に、銀子でもなんでもくれてやる。だから頼む、酒を一杯」
 「お出しできません」
 何度繰り返そうが取り付く島もない店主に、さすがにうんざりした智深は、ようやく諦めて店を出た。
 だが、そのあとどこの酒屋に入ろうと、返ってくるのは同じ言葉だった。
 「くそ、何かいい手を考えなくてはな……」
 腕を組み、智深は深々と嘆息した。
 それは、たかだか酒を飲むだけのことさえままならない、己の情けなさへのため息だったかもしれない。

(五)へ || (七)へ
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水滸綺伝第四回(七)

【第四回 趙員外、魯達を文珠院に出家させ 魯智深、五台山にておおいに暴れる】

 (七)

 酒どころか肉のひとかけらすら口にできぬまま不貞腐れて歩く智深は、気が付くと、杏の花が密やかに咲き誇る小路に迷い込んでいた。
 その明媚な様に視線を巡らせていると、通りがかった一軒のこじんまりとした家の軒先に、「酒」の看板がぶらさがっている。
 青い暖簾のかかった入り口からふらりと中をのぞけば、白い椅子の並ぶ店内に客の姿はなかったが、酒仙を描いた壁の際に並べられた甕からは、酒の魅惑的な香りが漂っていた。
 「店主、俺は……儂は、旅の僧だ。ひとつ、酒を出してくれんか」
 窓際の席にどかりと腰を下ろした智深は、道中考えに考えていた言い回しで店の者を呼び寄せる。
 「お坊様、あなた、いったいどこのお寺から見えました」
 奥からのそりと顔を出した男は、ふんぞりかえって椅子に座る智深の様子を訝し気にみつめ、ぼそりと尋ねた。
 「よもや五台山のお坊様ではありますまい」
 「違う、旅の僧だと言っておろうが。諸国を行脚しとるが、たまたまここを通りがかったのでな。喉が渇いたから、酒を一杯もらいたいのだ」
 わざとに郷里の訛りを色濃くすれば、遠いところから来たのだと納得した店主は、「どのくらいお飲みになりますか」と盃を用意し始めた。
 「いくらでもええ。大きい椀になみなみと、どんどん注いでくれりゃあええ」
 言われたとおりに大きな盃にあふれんばかりに酒を注ぐ店主の手から、なかばもぎ取るように盃を受け取り、一息に飲み干すこと十杯ほど、智深はふと、腹も減っていたのだったと思い出した。
 「喉は潤ってきたが、腹がなくなっちまいそうだ。なにか肉を一皿くれんか」
 「残念、今朝なら牛肉があったんですが、あいにく今は売り切れておりまして」
 「ふぅん……?」
 空になった甕を取り換えるのに背を向けた店主の肩の向こうを、なにげなく覗き見る。
 ごく小さな庭の隅で、土鍋が火にかけられている。いったい何を煮ているのかと鼻をひくつかせれば、間違いなく――己が食い物の匂いを間違うはずはない――犬の肉の匂いがする。
 (こいつ、俺をなめやがって)
 すく、と立ち上がった智深は、店主をなかば突き飛ばすように追い越して庭の土鍋の前に陣取り、大きな目玉をぎろりと剥いた。
 「おい、犬の肉があるじゃないか。何故隠す」
 「い、いえ、隠していたわけではございません! お坊様ですし、犬の肉などお召し上がりにならぬだろうと、声をかけなかったまでで……」
 智深の剣幕に、それまでのどこか他人行儀な態度もすっかりなりをひそめた店主は、ひきつった愛想笑いを浮かべた。
 「なんだと? 銀子は持っているんだ、この肉の半分を俺に出せ」
 「はい、はい、ただいま」
 席に戻った智深は、店主がいそいそと運んできた犬の肉に大蒜おろしを和えながら、また十杯近くの酒を飲み干した。久方ぶりの酒に、さらにうまい肴もあると来れば、まったくその酒量はとどまらず、店に並んでいた甕は次々と空になってゆく。
 「あの、お坊様、もうずいぶん飲まれたのでは」
 「ふん、お前らは皆、人の心配をするふりをして、自分のことしか考えてないんだ。金は払っているんだから、余計な世話を焼いとらんで、もう一桶分、持ってこい」
 じとりとした智深の眼差しを避けるように、店主が新たな酒甕をあけて桶を満たす。それをたちまち飲み干した智深の皿には、すでに犬の脚が一本しか残っていない。
 げふりと息を吐きだした智深は、その犬の脚を懐に押し込んで、青い暖簾を豪快にくぐった。
 「釣りは取っておけ。明日また飲みに来るからな」
 己の酒量にか、それとも坊主のくせに生臭を存分たいらげたことにか、驚き果てて言葉もない店主は置き去りに、寺へ帰るため五台山の山道をふらふらと登る。
 その途上に、休むのにちょうどいい庵を見つけた智深は、しばし座り込んだ。
 ぐっと酔いが回るにつれ、思い出さぬようにしていたもどかしさまでもがどっと舞い戻ってくる心地がした。
 「ふん、この拳も、しばらく使う相手がいないうちに、腐っちまうに違いない。久しぶりに、使ってみるか」
 両袖をまくりあげ、足をひらいて立ちあがる。深く吸った風の中に感じる、線香の匂いを消し去るように、手を、足を、何度も繰り出す。東京で出会い、少林寺で深めたその技を、誰も見る者もいない山の中で、ひたすらに。
 「ふ、はは」
 こみ上げる笑いが、何に対してのものだったのか、見当もつかなかった。
 腹の底から湧き上がった震えのままに、庵の柱に肩をあてて揺すれば、ひどくがさついた音をたてて、柱が折れる。
 ゆっくりと倒れた柱に引きずられ、屋根が落ちる。
 土埃をあげながら崩れ去った庵を眺め、智深はまた、笑った。
 「こんな山奥で大きな顔をしていたって、こうして簡単に消えちまう」
 庵だったものを振り返ることもなく、ふらつく足取りで再び山を登り始めれば、轟音を聞きつけて駆け出してきた寺院の門番たちが、智深の姿に目を剥いた。
 「あの男、また酔っぱらって帰ってきたぞ!」
 「まずい、はやく門を閉めろ」
 そそくさと山門を閉め、閂までかけた門番たちを追ってきた智深は、そこに見えざる仇でもいるかのように、巨大な拳で門を叩く。
 「こら、くそ坊主ども、何故俺を締め出そうとする」
 門扉がひしゃげようとも頑なに開こうとしない門番どもに焦れてぐるりと目を回せば、これまで気が付かなかったが、門の両側に金剛の仁王像がそびえている。
 胸を張って立つその姿すら癪に障り、智深は手始めに左の像に向かって唾を飛ばした。
 「おい、そこに突っ立ってやがる木偶の棒め。黙ってふんぞり返り、閉め出されて困っている俺のために門も叩かず、その上俺に拳を振り上げるとはどういうことだ。はは、貴様の拳なぞ、少しも怖くないわ!」
 仁王像の台座に飛び乗った智深は、像を囲った柵を軽々と引き抜き、思い切り振りかぶる。
 「ああ、誰かはやく、長老様に知らせてまいれ」
 悲鳴のような音を立てて泥や胡粉をまき散らす左の仁王は、智深の振り回す柵にぶたれてもなんとか耐えていた。
 「ふん、もう一人いたか。貴様も俺を嘲笑っているな、許さん」
 だが、一息入れた智深がさらなる力をこめて振り下ろした柵の一撃に、右の仁王は耐えきれなかった。
 五台山一帯に響き渡るほどの轟音とともに、像が台座から転がり落ちる。
 それを見た智深は、腹の底からこみ上げる笑いを押さえることもなく天を仰ぐ。
 「それ見たことか。貴様なんぞ、ただ偉そうに民を見下ろすだけで芯も根っこもないもんだから、こうして無様に転げ落ちるんだ」
 なんとも愉快げに笑う智深とは反対に、その惨状を目の当たりにした門番たちは、首座や監守も引き連れ、いまにも泣きだしそうな顔で長老のもとへと駆け込んだ。
 「長老様、智深めがまた、ひどく酔って暴れまわっております」
 「なんだ、またそのことか。お前たちはなにも手を出さず、かまわずにおけばよい」
 「ですがあの野良猫、今日と言う日ばかりは度が過ぎます。庵を壊し、仁王さまをはったおすなど」
 「天子さまとてもて余すという酔漢を、私ごときがどうこうできようか。出来ることと言えば、趙員外にお願いし、智深の打ち壊した庵や像を建て替えてもらうことくらいなものだ」
 さも諦め顔の長老に諭されるたび、僧侶たちの顔は青ざめる。
 「ですが長老、仁王さまは五台山の守り神です! それを建て替えるだなんて、許されるのでしょうか」
 「たとえ御本尊を破壊されようと、あの者を止めることはできぬ。くれぐれもそっとしておくように」
 だが、当然、そんな言葉に僧侶たちが納得できるはずもない。門番たちは智深を中にいれまいと力ずくで門を閉ざす。
一方智深は智深で、頑なに拒まれれば苛立ちはさらに募り、酒臭い息を荒げて声高に叫んだ。
 「やい、くそ坊主ども! どうしても俺を中に入れぬ気なら、俺ぁ火を持ってきて、寺ごと、いや、山ごと燃やしちまうぞ!」
 その語気のあまりの凄みに、これは冗談では終わらぬやもしれぬと焦った門番たちは、先程までのふんばりもどこへやら、さっと閂を外すと脱兎の如き速さで部屋に逃げ隠れる。
 それに気付いた智深は、肩を揺らして笑い、勢いよく両の門扉を押し開ける。勢い余ってつんのめり、ごろりと転がるのすらも愉快で、己の禿げ頭を撫でる。
 どこから沸いてくるのかわからぬ解放感に突き動かされるまま、智深は僧堂へとあがりこむ。
 坐禅を組み、瞑想していた僧侶たちが、簾をまくってのしのしと現れた智深の酒臭さに目を見張る。
 「こいつ、また酒を飲んできたのか」
 「だったら、なんだ」
 酒を飲まなければ、偉いのか。
 仏に祈れば、偉いのか。
 「お前たちには、何も見えていないくせに、俺ばかりを邪魔もの扱いしやがって」
 だが、坊主らしく説教のひとつもで垂れようとした智深の声は、そこで途切れた。
 「何ということを……!」
 禅床の前でつんのめった智深が、ものすごい音とともに臓腑の中身を吐き出したものだから、僧侶たちはそのあまりの仕打ちに耐え兼ね、袖で顔を覆いながら後ずさる。
 不平も一緒に吐き出されたか、やたらとすっきりした気分の智深は唐突に思い立ち、禅床にのぼると、己の僧衣を勢いよく引きちぎった。
 「は、ちょうどいいもんがあったぞ。出しちまったら、腹が減った」
 転がり出てきた犬の脚を貪り喰らいながら、花の刺青も見事な裸身をさらけ出した智深は、じろりとまわりの坊主たちを見渡した。
 「おい、お前」
 右手で智深に背を向けようとしていた坊主の肩をわしづかみ、「食いな」と犬の脚を差し出すが、坊主は必死に顔を隠して身を捩る。
 そこで今度は左手で恐怖のあまり動けずにいた坊主をひっつかみ、「お前は食わんか」と強引に肉を口に押し込む。
 「どうだ、うまいか、それが民が食っている肉の味だ」
 「智深、やめないか、度が過ぎるぞ」
 無理やり肉を口に突っ込まれた僧侶を助けようと、四、五人の僧侶が勇気を振り絞って近寄るが、犬の脚を手放した智真は「邪魔をするな!」と一喝、笑いながら僧侶たちの禿げ頭を殴りつける。半裸の大男が好き勝手に暴れまわるその怪異な様に、ついに僧侶たちは仲間を助けることを諦め、我先にと袈裟を抱えて逃げ出した。その上を下への大騒ぎたるや、首座も収めることが出来ぬほどである。
 もはや一匹の獣のように巨躯を好き放題暴れさせ始めた智深を前に、長老に相談もあったものではないと、寺男や職人衆など多少は力に自信のある男たちが急きょ二百名ほど集められる。
 杈や棍棒を手に僧堂へと乗り込んできた男たちに向かい、智深は吼えた。
 「武器も持たぬ俺をこんな風に取り囲むとは、恥知らずめ!」
 あちらがそのつもりならばと堂の奥へ駆け込み、智深は仏前の卓を思い切りひっくりかえした。
 供え物の果物が散らばるのを気にも止めず、卓の脚を二本折った智深は、双刀使いのごとく木の脚を掲げ、外へと躍り出る。
 丸い目をさらに丸くして辺りを睥睨し、太鼓腹の長身を誇示するように仁王立ちした智深は、虎とも狼ともつかぬが如き素早さで僧侶や寺男たちの群れに飛び込んだ。
 仁王ですら止められぬほどのその圧倒的な気を前に、それでも僧侶たちは、なんとかせねばと踏みとどまる。
 両側から挟まれる形になった智深は、卓の脚を振り回し、自分に近づこうとする男たちを片っ端から打ちのめす。
 「来い、まとめて相手をしてやるぞ!」
 久方ぶりに生身の人間を相手に腕を振るう興奮が、智深の肌を赤く染めてゆく。
 地獄の鬼のように赤く燃えた肌にぎらぎらと刺青の花を咲かせた一匹の獣は、次々と群衆をはっ倒し、野に解き放たれたかのように奔放に駆け、そして、
 「やめぬか、智深! お前たちも、手を引きなさい」
 この日もまた、智深の凶行を止めたのは、長老の深い声だった。
 智深に殴られ、怪我を負った僧侶たちが次々に引き下がり、道をあける。
 怒っているような、それよりも哀しんでいるような長老の瞳に見つめられ、智深の体から酔いが一気に引いていく。
 「長老、俺は」
 「智深、お前にはほとほと手を焼かされる」
 何を叫びたいのか自分でもわからぬまま、魚のように口だけを動かす智深の目の前に、長老は静かに立った。
 「先日酔って騒ぎを起こしたとき、お前をここによこした趙員外は、その一件を聞くや我々に詫びの手紙を送られた。員外のそんな苦心も知らず、お前は今日またひどく酔って暴れ回り、寺の規律を乱し、庵を破壊し、仁王様の像を打ち倒し、それはどうにでもなるとしてもだ、僧侶たちを堂から追い出したのは並みならぬ罪。文殊菩薩の霊験もあらたかな聖地たるこの五台山を、お前は穢したのだ」
 ひとつ、長老は細い息を吐いた。
 「智深、もはやお前をここに留め置くわけにはゆかぬ」
 「……長老、今、なんと」
 「来なさい」
 血の昇った頭では、長老の言葉の意味を理解できず、智深はぽかんと黙り込む。
 長老に手を引かれて方丈へと連れ帰られ、一晩ぐっすり眠ってもまだ、にわかに己の置かれた境遇を受け入れることはできなかった。
 「智深、昨夜のうちに、お前のことは趙員外殿にお知らせした」
 痛む頭を抱えながら起き上がった智深に声をかける長老の手には、一通の書状が握られている。
 「仁王像や庵については、員外殿が費用を出して立て替えてくださるそうだ。そして、お前の処遇は私に任せる、と」
 「処遇……」
 こんな山になど居たくないと鬱憤をためて暴れ回ったはずなのに、いざ長老の口からはっきりと告げられれば、何か突き放された心地がした――いや、あんな失態を働いたのだから、自業自得というやつではあるのだが。
 「首座とも話合ったが、やはり僧侶を傷つけたお前の罪は重い。だが、趙員外殿のお顔に免じて、お前を私の弟子のもとへと預けることにした。この書状を持って行けば、必ずやお前を受け入れることであろう」
 渡された書状に書かれた文字は、読めなかった。
 「昨夜一晩、私はお前のことを考えていた」
 どこか遠くを見るような長老の目が、天を仰ぐ。その視線を追っても、重苦しい石天井が広がるばかりである。
 「お前に、四句の偈を授けよう。これは一生涯、お前を導くものとなろう」
 「……長老様、師匠、どうか粗忽者の俺にもわかるよう、その四句をお聞かせください」
 もはや素直にこの寺を去るしかない今となって、智深の身に、長老の深い想いが染みわたる。
 この先、手配書まで出された身を引き取ってくれるところがあると言うのなら、心を改め、大人しくその人のもとへと参じるしか、智深に残された道はなかった。


<第四回 了>

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