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水滸綺伝第三回(二)

 【第三回 史進、夜半に華陰県を去り 魯提轄、拳三発で鎮関西を成敗す】

 (二)

 「なあ、史進、どうしても行っちまうのかよ」
 いい歳をしたふてぶてしい大男が唇を尖らせて拗ねている姿は決して様にならないのだが、跳澗虎陳達ともなれば、そんな表情すら愛嬌の一つとなるのだからつくづく不思議というものだ。
 「あのなあ、達兄。さんざん話し合って決めただろ。これ以上引き留めるのは野暮ってもんだよ」
 諭す口ぶりの楊春の顔にも、隠し切れぬ不満や名残惜しさが滲んでいるのは、決して史進の自惚れではなかったろう。
 「まったく、この俺たちがお前を兄貴と呼ぼうと言うのにそれを断るとは……まさか、路銀までは断らんだろうな」
 「ああ、ありがたく頂くよ」
 朱武の手から銀子の入った袋を受け取り、史進はつば広の白い范陽帽の下からそろりと彼の顔を伺った。
 「怒ってるのか?」
 「まさか。お前が行くと決めたんだ、これ以上俺たちに止められはせん」
 たった数日前のことが、遥か夢の彼方の如く感じられる。だが、事実、史進は生まれ育った家を焼き、父に託された村を去ったのだ。
 三頭領や使用人たちとともに少華山へと逃げ込み、気を落ち着けて考えてみれば、随分と大胆なことをした。それでも後悔はない。初めて自分で、外へ出ることを選んだ。家も財もない身は軽く、どこまででも歩んでいけるような気がする。だが一つ気がかりは、父に託された村のことだった。
 「……村のことを頼むよ。あんたらが背後にいれば、衙門のやつらもそう手出しはできないはずだ。それに俺の使用人たちも、少しは武術の心得がある。どうか稽古をつけてやってくれ」
 これから史進は、延安府に向かう。忠義と策謀、愛情と憎悪、正義と理不尽――矛盾だらけの世の中を、もっと知りたいと思った。
 旅立ちを決めた史進を、朱武たちは当然のように引き留めた。彼らは、この山寨の一の頭領の座を譲ってもいい、それが嫌ならほとぼりが冷めたころに家を建てて良民に戻れるようにしてやる、と熱心に説得した。
 だが、義侠心のかけらもない腐りきった衙門にへつらいながら田舎の村に閉じこもっているよりも、潔白の身を汚して山賊となるよりも、無二の師を頼り、見知らぬ地でこの力を試したかった。きっと父も、許してくれるに違いない。
 「ちぇ、少華山の頭領の座を蹴っていくんだ、せいぜい立派になりやがれ」
 ぬっと陳達が差し出した包みには、うまそうなおやきが詰まっている。受け取れば、まだ仄かに温かい。
 「はは、こんなふうに言ってるけど、達兄は史進にいつでも戻ってきてほしいと思ってるのさ」
 「てめえ、楊春!」
 「なんだよ、朱武の兄貴だって俺だって、同じ気持ちだぜ」
 楊春からの餞別は、見事な一振りの鴈翎刀だった。
 「あんたの三尖刀は目立ちすぎる。あれには及ばないかもしれないけど、これもなかなかいい刀なんだ、持ってけよ。まあ、奪ったもんなんだけどさ」
 「……ありがとう。大事にする」
 背に負った包みに銀子とおやきを詰め込み、鴈翎刀を腰に提げ、白い詰襟の戦袍によく映える黄色の首巻を結びなおす。
 「九紋龍史進……達者で」
 「あんたらと過ごしたことは、忘れない。いつかまた、必ず帰ってくるよ。華陰は俺の故郷だ。それまで……元気でいてくれよ」
 陳達の、楊春の、そして朱武の瞳にさえも、こみあげる惜別が光っているのに引きずられ、史進の眼頭もまた熱くなる。その熱が零れ落ちないうちに、史進は少華山の山門にくるりと背を向けた。
 「史進……!」
 草鞋の底で一歩一歩、新たな道を踏みしめる。その足取りは、次第に鼓動よりも早くなる。史家村の若旦那という肩書を捨てた身体に、秋の風が心地よく吹き付ける。
 「……安……に向……道は反……だぞ……!」
 その風に半ば吹き消された朱武たちの声が、背を押しているかのようだった。

 王進が史家村を旅立つ前、一緒に地図を見た。
 延安府に向かう、と師が言ったので、地図から延安府を探した。
 延安府は、史家村の上の方にあった。そして少華山は、史家村の下にある。つまり少華山を背に、村と同じ方向に、村を避けながら歩いていけば良い。地図など必要はないだろう。延安府は村のほぼ真上にあったのだから、街道を二、三本、左か右にずらして、ただひたすらまっすぐ進めばいいだけなのだ。
 道中、秋深まる山並みも、ぽつりぽつりと現れるこじんまりとした村も、文人ならば詩のひとつやふたつ口ずさむような風情であった。
 けぶる雲に沈む夜の林も、うっすらと紅色に染まる朝の山道も、決して史進の歩みを阻むものではなかった。
 夜明けを告げる鶏の声を、落日に嘆く犬の遠吠えを、何度聞いたか知れぬ一人旅の終着点が見える頃には、興奮気味に吐く息も白さを増していた。
 「渭州、か」
 城門に掲げられた額を読み上げ、史進はふむ、と顎を撫でる。少華山からひたすらまっすぐ歩いてきたのだから、道を間違っているはずはないのだが、いかんせん、地図では延安の場所しか見ていなかった。ここが延安府の一部なのか、はたまた違う街なのか史進にはわからなかったが、どうやらここにも経略府はあるようだ。ならば、王進の居場所もすぐにわかるかもしれぬ。
 「にぎやかな街だ」
 旅路の食糧を詰め込んだ包みを背負いなおすと、史進は、往来途絶えず賑わう城門をくぐった。渭州の街並みは華陰よりも数段立派なもので、思わず笑みが零れ落ちる。道端には野菜や雑貨を売る商人たちが威勢よく立ち居並び、着飾った男女や暇そうな農民、やせ細った乞食といったさまざまな種類の人が、さざ波の如く彼らのもとに寄せては返している様は、さすがに長旅に疲れを覚えていた史進の心を浮き立たせた。
 「お茶だよ、渭州城下で一番うまいお茶と、点心もあるよ、寄って行ってよお客さん」
 初めて訪れた街の物珍しさに、暫くはうろうろと大通を歩き回っていた史進だったが、ふと耳に飛び込んできた給仕の掛け声にようやく足を止めた。声のした方を見やれば、右手の小路の入り口でひっそりと幟をあげる茶店の前で、男がにこやかに客を呼び込んでいる。
 「あ、旦那も、いかがです。旅の疲れをうちの自慢の茶で癒しては?」
 目があってしまえばもうあちらのもの、給仕の言葉にすっかり疲れを思い出してしまった史進は、彼に導かれるまま小さな茶店の門をくぐった。
 「なんだ、思いのほか繁盛してるんだな」
 「ええ、おかげさまで。うちはこう見えて、世宗帝のころから続く老舗なんですから!」
 外から見ればこじんまりと冴えない店に見えたのだが、中に入ってみればなかなかに瀟洒な店構え。けばけばしすぎず、かといって田舎臭すぎもしない内装もさりながら、店内にはうまそうな点心の匂いが立ち込め、洒落た器で茶をすする客たちの表情もみな一様にくつろいでいる。案内された席にどかりと腰をおろし、草鞋を脱いで椅子の上にだらしなく片足をあげた史進のさまを見て、近くの席に座っていた女たちが密やかにさざめき笑う。
 「旦那、お茶は何をお飲みに? 白毛茶はどうです? 昨日なんて、西川の嘉陵からきた商人さんが、真っ白い着物にまで飲ませちまったくらい、喜んで飲んでたんですから」
 「俺には茶の味の違いなんてわからないからな、とりあえず煎茶をくれ」
 「おや、残念」
 己に茶のすすめを説いても無駄と悟ったらしい給仕がさっさと準備を始める、その背に向かい、史進は「おい小二」と小声で問うた。
 「この街の経略府は、どこにあるんだ?」
 「それならすぐ目と鼻の先ですよ。ほら、あそこに赤い旗がたっているでしょ、あれが経略府ですよ」
 給仕が指さしたほうを見れば、いかにも武人らしい男が数人、赤い旗の前で談笑しているようだった。窓越しに見える彼らの精悍な横顔に、ふと師の面影が重なる。
 「なあ、経略府に、開封東京からやってきた王進という名の教頭がおられるはずなんだが、知ってるか?」
 「はて、あそこには教頭と名の付く人はたくさんいますしねえ。王という姓の方はたしか三、四人おられるはずですが、さてどなたが王進さんかは」
 「そうか……」
 やはり経略府に赴きこの目で確かめねば、と史進が再び度赤い旗に目をやった刹那。
 旗の陰から、ぬうっと姿を現した者があった。
 ――随分と人目をひく大男である。
 みっしりと生えた真っ黒い豪気な髭と、ぎょろりと光る大きな瞳は、店の中から遠巻きに見ていても並みならぬ気迫を感じる。行き交う人々よりも優に頭三つ分は上背があろうかと言う堂々たる体躯もまた、無骨で粗野な顔立ちが醸し出す凄みに拍車をかけている。
 「さ、旦那、うちは煎茶だって極上なんですからね」
 給仕が差し出した茶碗から立ち上る湯気の向こうから、その大男が肩で風を切ってこちらへ歩いてくるのを、史進はじっと見ていた。

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水滸綺伝第三回(三)

【第三回 史進、夜半に華陰県を去り 魯提轄、拳三発で鎮関西を成敗す】

 (三)


 「小二! 茶だ!」
 銅鑼のように、あるいは陣太鼓のように腹に響くその声は、決して怒りを含んでいるわけではなかった。だが、大男の一声に、給仕は飛び上がらんばかりに体を震わせ、先ほどまでゆったりと寛いでいた客たちの話声は一瞬すうっと音を潜める。
 「はい、はい、ただいま」
 ぺこぺこと頭を下げる給仕の、先程まで自慢げに茶の話をしていたとは思えぬ腰の低さに満足したのか、大男は史進の斜向かいの卓に腰を下ろして大あくびをする。それに安堵したように、客たちの話声はまた、先ほどの活気を取り戻した。
 (武官だろうか、随分と迫力のある男だな)
 どうにも魁偉なその容貌に好奇心をそそられ、史進はぶしつけなほどに大男を眺め続けた。
 胡麻色の頭巾にひっつめ金環で結った真黒な髪はごわごわと固そうで、分厚く鍛えられた体は濃い鸚鵡緑の戦袍の上からでもその逞しさがわかる。柳の大木ほどもありそうな恰幅の腰回りには無造作に紺色の革帯を巻き、黄色の長靴に押し込んだ足は、一蹴りで牛をも飛ばせるほどの大きさである。
 太い鼻筋も大きな口もぎょろりとした目もぴんとした耳もどこか獣じみているのだが、丸い顔の中でそれらがどたばたと動き回ってはおおげさに表情をつくり、豪気な髭を震わせている様からは、どうにも憎めない愛嬌を感じるのだ。史進はふと、少華山に別れてきた短気な好漢のことを思い出した。
 「そうだ、旦那。先程の王教頭のことなら、あの方にお尋ねすればいいんですよ」
 大男に茶を出し終えた給仕が、小走りに史進のもとへ戻ってきたかと思うと、そっと耳打ちする。
 「あの方は経略府の提轄殿。きっと旦那の尋ね人もご存じのはずです」
 「何?! それをはやく言わないか!」
 がつ、と茶碗を卓に叩きつけ、史進は勢いよく立ち上がった。さっそく大柄な提轄の方へ歩み寄ろうとするが、草鞋を脱いでいたことを忘れ、不覚にもつんのめりそうになる。
 「なんだ?」
 一人あたふたと騒がしい音をたてる史進の様子に、逆立った真黒な眉毛をぐいとあげ、提轄もまた茶碗を卓に置いた。怒っているというよりは、単に不思議がっているだけのようだ。
 「いや、あの、これは……お騒がせしてすまない……」
 慌てて草鞋を履きなおし、史進ははやる気持ちを抑えて拱手する。
 「提轄殿、よければこちらの席で茶を召し上がりませんか?」
 提轄は、丸い目をさらに丸くして、史進のなりを頭からつま先までじい、と見つめた。そうして何かに得心がいったのか、大きな口の端をにかりと吊り上げ、立ち上がって拱手を返す。
 「どうやらあんたは好漢のようだ、喜んで」
 茶碗を手に史進の向かいへと席を移した提轄は、ぐびりと茶を飲み干し、髭についた水滴を袖口でぐいと拭った。
 「あんたと会うのは初めてだと思うんだが、何か俺に話したい事が?」
 「その……失礼ですが、提轄のお名前を伺っても?」
 「俺の姓は魯、名は達。この渭州の経略府で提轄を務めているもんだ。兄さん、あんたは?」
 「魯提轄、俺の姓は史、名は進。華州の華陰県から来た者です。実は、魯提轄が経略府にお勤めと聞いて、どうしても伺いたいことがありまして……その、人を、探しているんです。俺の武術の師匠で、姓は王、名は進、かつては東京開封で八十万禁軍の教頭を務めていた方。この方が、ここの経略府におられるのではないかと」
 「待て!」
 さすがの史進も、その大声にはびくりと肩を揺らした。まわりの客たちも何事かとおっかなびっくりこちらに視線をよこしているのがわかる。
 「華陰県……史進……?」
 大声を出した当の本人は、もじゃもじゃと顎髭をひねくり丸い黒目を泳がしていたかと思うと、分厚く大きな両手をばちりと打ち鳴らした。
 「兄さん、あんたもしかして……史家村の庄屋をやっていた、あの史進か? 九紋龍って二つ名の?!」
 「あ、ああ、いかにも」
 「あいや、これはなんてことだ! あんたの名を知らん好漢はいないぞ! まさかこんなところであんたに会えるとは!」
 「ろ、魯提轄、どうかお座りください」
 再び立ち上がり、目を輝かせながら拱手を繰り返す魯達を慌てて座らせ、史進は彼の椀と自分の椀にたっぷりと茶を注いだ。急いで茶を煽ったのは、どうにもほころんでしまう口元を隠すためでもあった――まさか、こんなところに、己の名前を聞いて目を輝かせる者がいるとは。
 江湖にこの名を知らしめるという野心のままに武芸に励み、少華山の頭領たちも己の名前に震え上がってはいたのだが、こうして見知らぬ土地に住む者の耳にまで己の名が届いているのを目の当たりにすると、胸が震えるのを抑えきれない。しかも魯達のような、いかにも豪傑然とした武官の男に知られているとなれば、なおさらだ。
 「なんと、史大郎ともあろう男がこんなところで茶をすすっていてはいかん。よし、酒を飲みに行くぞ! あんたに一献捧げたい」
 「ま、待ってください、提轄。あんたと盃を交わせるのは嬉しいが、その前にできれば、さっきの答えを教えてほしい」
 「さっきの答え?」
 「王進という方をご存じないかって……」
 「……ああ! すまんすまん、その話だったな」
 きょとん、としたかと思えば心底申し訳なさそうに眉尻を下げる、その爛漫さに史進はくすりと笑った。
 「その王進教頭ってのは、もしや、東京で高俅の糞野郎に疎まれ追われた、あの王進殿のことか?」
 「まさにその人だ! ご存じで?」
 「俺もあの方の名は知ってるが、残念ながらここにはおらんぞ」
 あからさまに肩を落とした史進を見て、肉付きのいい指に髭を絡め、魯達が唸る。
 「確か今は、延安府経略使の种老公のもとで仕官していると聞いた。延安府に行きゃ会えるはずだぞ、そうがっかりするな」
 「実は、延安府にいるっていうのは俺も聞いていたんだ。ここは、延安府から遠いのか?」
 髭を弄う魯達の手が、ぴたりと止まった。
 「……史進、ここで経略使をやってる小种公殿は、种老公殿のせがれだが、この渭州は延安府から随分遠いぞ。延安府は華陰県の北、ここは華陰県の西だ」
 「なんだ、そうなのか! ひたすら華陰からまっすぐに来たんだ。なんとなく地図に一本道の覚えはあったんだが、反対に進んでいたんだな」
 「ハハ、豪快なやつだ!」
 どうしようもない己の失態に、膝を打ってひとしきり笑いあったあと、史進は立ち上がり荷物を背負いなおした。
 「そうとなれば、また日を改めて延安府を目指せばいいだけだ。魯提轄、今日はぜひ、盃を酌み交わさせてください」
 「もちろんだ。その前に……その『魯提轄』ってのはやめてくれんか。どうにも居心地が悪い。もっと気楽に話してくれ」
 「わかったよ、魯兄貴」
 「それでいい。おい、小二! この人の茶代もまとめて俺が後から払うからな!」
 給仕の返事も聞かぬうちに、史進は魯達に腕をひかれ、再び渭州の街中に舞い戻った。まるで初めて会った気がしないほど気さくな大男と肩を組み、この街の名物の話などしながらしばらく歩いていると、何やら通りに溢れんばかりの人だかりができている。
 「兄貴、ここはずいぶん混みあっているね。何かあるのか?」
 「なんだ、気になるのか? 少し見ていくとしよう。やいお前ら、道をあけろ!」
 半ば強引に人ごみをかき分ける魯達に付いていくと、そのど真ん中にいたのは、十本ほどの棒を手にした逞しい男だった。彼の足元には膏薬を盛った皿が十枚並んでおり、その一つ一つに値札が挟んである。
 「ほう、この薬売りの棒術は、こんなに人を集めるほどすごいのか」
 疑わしげな魯達の言葉も尤もだったろう。男の、菱のように骨ばった顔に浮かべる笑みはどこかへらりと気弱げで、体つきこそ逞しいが、凄腕の棒術使いというよりはお人良しの薬売りと言う肩書のほうがよく似合う――だが、史進はこの男が、ただの陽気な良民ではないことを知っていた
 「李忠殿、師匠、お久しぶりです。こんなところでまた会えるなんて」
 「……ん? あれ、お前、史進じゃないか!」
 のしのしと姿を現した巨漢に戸惑い顔を青くしていた男は、史進の声にはっと顔をあげ、一転して晴れやかで人の好い笑顔を浮かべ駆け寄ってきた。その笑顔は、かつて故郷で史家の屋敷の門を叩いた時と変わっていないように見える。
 「しばらくぶりだな! 何故ここにいる?」
 「まあ、いろいろあってね……。師匠、知っているかもしれないが、この方は提轄の魯達殿。魯兄貴、この人の名は李忠。以前、故郷で俺に棒術を教えてくれた師匠の一人でね。江湖では"打虎将"の二つ名で通ってるんだ」
 「ハハ、なんだ、ただの薬売りかと思ったら、史大郎のお師匠さんだったとはな! そりゃあ人目も集まってくるわけだ」
 「い、いてて」
 魯達の分厚い掌でばしりと肩を叩かれれば、さしもの李忠もその身をふらつかせるほかない。
 「ここで会ったのも何かの縁だ、あんたも一緒に一献やろうじゃないか」
 「は、はあ……提轄殿の申し出はありがたいが、今は仕事の最中でして。この膏薬を売って銭をもらわなきゃ、ここを離れられませんよ。もう少しだけ待ってくれませんかね」
 「何をごちゃごちゃと。待ってなどいられるものか、行くと決めたらすぐに行くんだ」
 「そうは言っても、これで俺は飯を食っているんです。どうかお先に飲んでいてください。史進、提轄殿を先にお連れしてくれ」
 「まったくわからん奴だ!」
 魯達は李忠の手から棒を一本取り上げると、それをぐいと天にかざし、野次馬たちを一喝した。
 「やい、貴様ら、こんなところで油を売っていないで、とっとと仕事に戻り両親に孝行せんか! さっさと行かねば痛い目をみるぞ」
 「あ、おい、待ってくれ……あぁ…」
 魯提轄の癇癪玉が爆発するとどうなるか、渭州の民はよくよくわかっているらしい。蜘蛛の子を散らすように逃げていく野次馬たちの背に伸ばされた李忠の手は、力なく元の場所へと垂れ下がった。
 「まったく、提轄殿は短気なんだからなあ」
 「つべこべ言ってないで、それ、自分の荷物を担がんか」
 ため息をつきながら商売道具をまとめる李忠に、史進はそっと耳打ちした。
 「師匠、あとで俺も一緒に膏薬を売りさばきますから」
 「ああ、そりゃいい考えだ。お前なら、顔だけで客を集めることができるだろうさ」
 「……どういうことだ?」
 史進は己の顔をぺろりと撫でると、魯達がまた癇癪を起こす前にと李忠の荷造りをせっせと手伝うのだった。


(二)へ || (四)へ

水滸綺伝第三回(四)

【第三回 史進、夜半に華陰県を去り 魯提轄、拳三発で鎮関西を成敗す】

 (四)

 魯達は地位や財産に執着し、それを誇示する性質ではなかった。だが、恩人である上司の言うところの、「身分に相応しい生き方」については、常々考えているつもりだった。
 世を見渡せば提轄と言う地位にさほどの威光があるとは思わなかったが、それでもこの渭州を守る軍人の端くれであり、経略府ではそれなりの位である。
 それに、魯達は己を好漢であると自負していた。そして好漢には、好漢に相応しい生き方がある――そして、相応しい酒店も。
 「この潘料亭は、俺がひいきにしている店でな。いい酒が山ほどあるんだ」
 先程史進と出会った茶屋とは比べ物にならない、年季の入った店構えもさることながら、出される酒食、物分かりのいい給仕たちの気の利き様、杏の花で飾られた明媚な庭、室内のあつらえ……どれをとってもこの店は、好漢である提轄が、豪傑仲間と膝を交えるのに相応しい。
 「さすが魯提轄、洒落た店だなあ」
 どこか居心地悪そうな李忠と、正反対に目を輝かせてあたりを見回す史進を従え、魯達は給仕に一番綺麗な部屋を用意させた。上座に座った魯達に、給仕が愛想よく頭を下げる。見慣れぬ顔だから、新入りであろう。
 「魯提轄様、いらっしゃいませ。今日はどの酒をお持ちいたしましょう」
 「もちろん、一番いい酒だ。まずは五合も持ってこい」
 つまみを並べる手つきのぎこちなさに苛立つ魯達に、新入り給仕はさらに尋ねる。
 「お菜はどのようなものを……」
 「つべこべうるさい奴だ、いつもの給仕頭はおらんのか! ありったけのものを何でも持ってくればいいんだ、いちいち言わせるな! 金はまとめて払ってやるから」
 「は、はい、承知しました!」
 冷や汗を流しながら去っていく給仕を困ったような顔で見つめる李忠が、「ほんとに短気なお人だ」と呟くのを聞き流し、魯達はにかりと笑う。
 「俺は生まれも育ちのこの渭州だが、この地でお前たちのような好漢と出会い、盃を交わしたことは一度もない。今日はとことん、語り明かそう」
 「兄貴、俺だって、あんたほど豪快なお人と出会ったのは初めてだ。ここに朱武たちがいれば、もっと愉快なんだが」
 「ん? 朱武だと? その名は聞いたことがあるぞ」
 「兄貴、その前にまずは乾杯しよう」
 下座に座る史進が、給仕の運んできた燗を魯達と李忠に手渡し、嬉しそうに掲げる。
 「では、九紋龍史進と打虎将李忠に出会えたことを祝して」
 三つの盃が軽やかにぶつかり合い、暫し、うまい酒を飲み干す喉音だけが響く。空になった盃を見せ合い、三人の豪傑は高らかに笑った。
 「朱武に陳達、それに楊春という豪傑が、少華山に根城を築いているんだが、俺は彼ら三頭領と知り合いになってね」
 「少華山の三頭領と言えば、義賊として名が知れてるが、史進、やつらと仲良くなって、大丈夫なのか?」
 「師匠、そこは話せば長いんだが……」
 「史進、まずは王進殿と知り合ったところから聞かせろ。俺も幼いころ、叔父について東京で半月ほど暮らしていたことがあってな、その時から王進殿の名は――」
 菜や肉料理が次々と運ばれ、卓が賑やかになるごとに、魯達と二人の豪傑たちの四方山話も盛り上がる。いったい、こんなに酒が、箸が、話が進むひとときは、今まであっただろうか。
 この身に刻んだ花の刺青を見て震え上がることも、この大声に目を背け耳をふさぐことも、この髭を濡らし滴る酒の匂いに眉をしかめることも、この肉付きのいい手がひとつも動いていないのに逃げ出すことも、彼らはしない。豪傑よと褒め、痛快だと笑う。こんな男たちに出会うことを、己は待ち望んでいたのではなかっただろうか。
 「そのとき俺は言ってやったんだ、『俺と一緒に酒を飲もう』とな!」
 箸を振り回して興奮気味に語る史進が、白い歯を見せて無邪気に笑った時。
 「……ん?」
 史進と李忠の笑い声に紛れ、何か別の声音が聞こえた気がした。もう何杯目かもわからぬ燗酒を喉に流し込み、魯達はわずかの間耳を澄ませたが、聞こえてくるのは他の部屋の客たちが笑う声、皿がぶつかり合う音、給仕たちが行き交う足音……
 「そう、そのときはまだ気が付かなかったんだ、俺としたことが……」
 「まさか、その爺さんが?」
 「ああ、そのまさかさ」
 いや、確かに、それ以外の音が――魯達がこの世で最も苦手とする部類の声音が、確かに史進の声の隙間から漏れ聞こえていた。
 しかも、初めのうちは自分たちの話声にかき消されるほどだったその声音は、徐々に大きく、ひどくなってゆくのだ。間断なく、際限なく。
 「…………小二!!」
 「う、わあ! 熱!」
 ついに、もとより長さや強さなどあってないに等しい魯達の堪忍袋の緒が切れた。見事にひっくり返った卓から滑り落ちたうまそうな料理は、すべて李忠の着物に吸い込まれてゆく。
 「て、提轄様、いったいどうされたので?! あ、まだ何か足りないものが……?!」
 もはや血の気の欠片もない蒼白な顔で駆け寄ってきた新入給仕の胸倉をつかみ、魯達は唾を飛ばした。
 「何かいるか、だと、この役立たずめ! お前にはあの声が聞こえんのか、このぼんくら! いつも俺がこの店をひいきにしているのを知っていながら、なんだって俺たちの隣の部屋で知らない奴をめそめそ泣かせているんだ?! 俺たち兄弟の酒の席を邪魔させるなんて、俺が一度でも酒代を払わなかったことがあったか?!」
 「あ、兄貴、落ち着いて!」
 丸太のような魯達の腕をわしづかみ、史進がびっくりした顔で給仕と魯達の間に割り込む。
 「放せ、史進! こやつ、まさか弱い者いじめをしているわけじゃあ」
 「ち、違いますよ提轄様! 私のような小物が、どうして提轄様のような御立派な方の邪魔をするのです?! ましてや弱いものいじめなどとても……!」
 「魯兄貴、とりあえず話を聞いてやってくれ、俺も着物が肉汁臭くて泣きそうだが、そいつはもっと泣きそうだぞ」
 史進と李忠に両腕を掴まれれば、さしもの己も引き下がらざるをえない。ようやく解放された給仕は、けほけほと咳込みながら心底申し訳なさそうに魯達を見上げた。
 「お隣で泣いていたのは……実は、歌唄いの父娘でして。まさか魯提轄様ほどの方がいらっしゃるとは思わずに、悲しみに暮れて泣いていたんでしょう」
 「歌唄い? 歌唄いなら、なぜ酒の席に出てこない? しかも、悲しんで泣いているとはどういうことだ?」
 「その、これにはいろいろと訳が……」
 「ええい、まどろっこしい奴だ! いますぐその父娘をここへ呼んで来い!」
 史進と李忠が慌ててひっくり返った卓をなおしている傍らで、魯達は腕を組み足を揺らして虚空を睨みつけた。この世に怖いものなどない魯達だが、女の泣き声だけは、どうにも苦手だ。遠い昔、よく聞かされたその声に、いい思い出が付いて回ったことなど一度もない。
 「魯提轄様………こちらが、その歌唄いの父娘です」
 興を削がれ、半ば酔いも醒めかけた魯達らの前に連れてこられた歌唄いの父娘は、どこから見ても、酒の席を盛り上げられる風ではなかった。やつれ、青ざめ、この世の不運をすべて背負いこんだような陰気な顔を伏せるその姿は、まるで道端の物乞いのようでもある。
 「ああ、なんだ、その……お前たちか、泣いていたのは」
 唸るような魯達の声に、父親らしき老人が、痩せ細った肩をびくりと揺らして後ずさる。手に持った拍子板までぶるぶると震え、今にもふぬけた音を鳴らしそうだ。
 「……提轄様、どうか、お許しください」
 だが、娘の方は気丈にも、ほっそりとした体を前に進めてしとやかに一礼し、おそるおそる魯達の顔を見上げた。
 まだ二十にも満たぬような、若い娘である。ささやかな青い玉の光る簪をさした黒髪がほつれ、涙の痕が光る憂い顔や細い首筋に一筋、二筋かかっている様は、見ているこちらまで不安になってくるほどに儚い。紅色の質素な着物の上に白い上着をまとった身体は柳の枝のようで、裾から零れる淡い黄色の足衣に守られた小さな足は、頽れそうになる身体を懸命に支えているようもであった。細い眉を寄せたかんばせも、袖から覗く手も、すべて雪のように青白いのがまた哀れなほどに娘を弱々しく見せている。長い睫毛に光る涙の粒だけが、珠のように光っていた。
 魯達は女の美醜について関心もなければ、目の前の小娘が美しいかそうでないかを判断する目も持っていない。だからただ、男にとって守らなければいけない女というものがいるとすれば、この娘こそがそれだと、漠然とそう思った。そうでなくとも、女子供というのは、男が守らなければならぬ弱い存在なのだ。
 「……その、お前たちは、いったいどこの者だ? 何が悲しくてこんなところで泣いていた?」
 いよいよ娘が困ったように眉尻を下げたことで、ようやく自分が年若い娘をぶしつけに眺めていたことに気が付いた魯達は、ひとつ咳ばらいをして二人に席をすすめた。
 「提轄様に、申し上げます」
 遠慮がちに浅く腰掛けたまま、娘は線の細い声でぽつりぽつりと話し始める。
 「私はもとは東京の生まれ。父が商売で失敗したため、両親とともに親戚を頼ってこの渭州へやってきたのですが、あいにくその親戚はすでに南京応天府へと越していたのです。母は旅路で病にかかり、この街の宿で亡くなってしまい……父と二人、歌唄いをしながら暮らしていました」
 だがある日、困窮する若い娘に目を付ける男が現れた。鎮関西の鄭大旦那と呼ばれる太った男に酒の席で見初められ、妾にならぬかと迫られたのだ。男が持ってきた証文に、記された額は三千貫――未だ恋すら知らぬ少女は、父のために涙をのむしかなかった。
 「ですが、一月たっても、二月たっても、鄭の旦那様は一文もお金を支払ってくださらないのです。おまけに奥様が私のことを疎まれ、無理やり追い出した挙句、払われてもいない三千貫を返せと……父と私を宿屋に押し込め、毎日のように取り立てるのです」
 癇癪を起こせばすぐに怒鳴り散らす魯達ですら、そのあまりにも惨い仕打ちに絶句した。卓の上で握り締めた拳が震えるのを、抑えきれない。
 「もらってもいないお金を返すことはできませんし、おまけに宿代までむしり取られ……なので元のように歌唄いをして、わずかでもお金を稼いでいるのです。こちらの料亭には私たち父娘もお世話になっていて、宴席に呼んでもらうのですが、いただいたお金もほとんどは借金の返済にあてているので、手元にはほんのわずかしか……」
 堪えきれぬ涙が、再び娘の頬を伝う。史進が奥歯をかみしめる音が聞こえた。
 「この数日は、お客様もあまりお見えにならず、そうこうしているうちに借金の返済の期限も過ぎてしまい……この先いったいどうなることかと、父と二人で泣いていたのです。それが提轄様方の興を削いでしまったようで、どうか、お許しいただきますよう」
 「……お前、名はなんという? どこの宿屋に泊まっているんだ? それに、その鎮関西の鄭旦那とやらは、どこに住んでいやがる?」
 閻魔すらも逃げ出すような魯達の低い声に、今度は父親のほうがおずおずと答える。
 「私は金という姓でして、娘は名を翠蓮と申します。鄭の大旦那は、状元橋のたもとで肉屋をやっている方で、あだ名を鎮関西とおっしゃるんです。私たちは、この近くの東門の内側にある魯という宿屋に泊まっております」
 「肉屋の鄭だと?!」
 再び卓をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がった魯達は、巨大な拳を手近な柱に叩きつけた。今度は店まで壊す気かと、給仕がそわそわこちらを窺っている。
 「鄭の大旦那なんぞというからどこのお偉いさんかと思えば、畜生殺しの鄭の奴だったとは! あの性根の腐った豚野郎め、うちの経略使の若旦那のお情けで肉屋をやらせてもらっている分際で、こんな弱いものいじめをしていたのか!」
 もはや我慢がならなかった。いや、すでに王進の身上話を史進が語っていた時から、とっくに我慢は限界を超えていた。理不尽も横暴も奸計も、もはや存在することが当たり前になってしまっていることが、腹立たしくて仕方がなかった。
 「史進、李忠」
 顔中の髭すら逆立たせて、魯達は二人の豪傑を振り返った。
 「鄭の野郎をぶっとばしてくる。あんたらはここで待っててくれ」
 「ま、待ってくれ、兄貴」
 「そうだよ魯兄貴、いったん落ち着いて!」
 「何故止める!」
 「今このまま鄭を成敗したら、この二人が仕返しされるだろう!」
 すでにひとつの獣の如く怒りを放っていた魯達だったが、至極まともな李忠の意見を聞き逃すほどに我を失ってはいなかった。
 「……ふむ、それもそうだな」
 荒ぶる吐息を抑え込み、魯達は哀れな父娘に再び目を向ける。
 「俺が、あんたたちの路銀を工面する。明日にでも、その金で東京へ帰るんだ」
 「え……」
 はらはらと魯達の様子を見守っていた翠蓮が、呆けたような声を漏らす。目を丸くしたその顔は、疲れ切った先程の様子より、ずっと幼く見えた。
 「そ、それはもう……故郷へ帰ることができるなら、これほど幸せなことは……ですが、宿屋の主人が我々を見逃すとは思えません。やつもまた、鄭の大旦那から借金取りを命じられているのです」
 「おやじ、そんなことを心配するんじゃない。俺にも考えってやつがある。あんたはかわいい娘を無事に故郷へ連れ帰ることだけ考えろ」
 喜びと不安がないまぜになった顔をする金老人の肩をひとつ、ばしりと叩き、魯達は己の懐を探った。あいにくと今日は持ち合わせが少ないが、五両ばかりは見つかった。
 「さあ、受け取れ」
 「あ、の……」
 分厚い掌の上で鈍く輝く銀子と魯達の髭面を、翠蓮はためらうように交互に見つめた。
 「提轄様、でも、こんな……私たち父娘は、どう御礼をすれば……」
 「まったく煮え切らん娘だ、はやく受け取らんか」
 己の手の半分の大きさもない翠蓮の手をぐい、とつかみ、魯達はその掌に強引に銀子を乗せた。
 「今日はいろいろと入用があってな、手持ちが少ないんだ。よかったら、あんたたちからも出してやってくれないか? 明日には必ず返す」
 「はは、水臭いじゃないか兄貴。返さなくても結構。さあ、どうぞ」
 人の良い笑みを浮かべる史進が包みから取り出した十両を受け取り、今度は翠蓮の両手をつかんで掌の上に積み上げる。
 「李忠、あんたにも頼みたい」
 「ええ、まあ、いいですけどね……」
 懐からでてきた二両を睨みつけ、魯達は「けちなやつめ」と呟いた。十五両もあれば、東京までは帰れるだろう。突然降ってわいた銀子を前に茫然とする翠蓮がそれを落とさぬよう、魯達はその両手をしっかり握りこませた
 「さあ、はやく宿に帰って、荷物をまとめろ。この銀子を奪われたりするんじゃないぞ。明日の朝、俺があんたたちを宿まで迎えに行って、必ず逃がしてやる。宿屋の畜生なんぞに止めさせはせん」
 「て、提轄様、あなたさまこそ、私と翠蓮の生き神様……なんと御礼を申したら良いか……!」
 「礼などいい。俺は、弱い者いじめをするやつが許せんだけだ」
 「……提轄様」
 「なんだ、まだぐずぐずと言うことが」
 「あの、手を……」
 気恥ずかしそうに呟く翠蓮の視線を追えば、魯達の手の中で翠蓮の小さな手がつぶれそうになっている。
 「あいや、こいつはすまん! さあ、銀子を落とすなよ。俺たちは酒盛りの続きをするから、さっさと帰って明日の支度をするんだ」
 「……はい」
 ことり、と頷いた翠蓮は、父とともに銀子を布にくるむと、何度も何度も魯達に向かって頭を下げ、ようやく気が済んだところでくるりと背を向け、
 「……いつか東京にいらっしゃることがあったら、どうか宴席で唄わせてくださいね」
 魯達が返事をする間も与えず、小走りに立ち去って行った。肩越しに零れたその微笑みに、もう涙はなかった。

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